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日本三文オペラ
にほんさんもんオペラ
作品ID1002
著者武田 麟太郎
文字遣い新字旧仮名
底本 「現代文学大系 44 武田麟太郎・島木健作・織田作之助集」 筑摩書房
1967(昭和42)年3月
入力者山根鋭二
校正者伊藤時也
公開 / 更新1999-12-15 / 2014-09-17
長さの目安約 36 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 白い雲。ぽつかり広告軽気球が二つ三つ空中に浮いてゐる。――東京の高層な石造建築の角度のうちに見られて、これらが陽の工合でキラキラと銀鼠色に光つてゐる有様は、近代的な都市風景だと人は云つてゐる。よろしい。我々はその「天勝大奇術」又は「何々カフェー何日開店」とならべられた四角い赤や青の広告文字をたどつて下りて行かう。歩いてゐる人々には見えないが、その下には一本の綱が垂れさがつてゐて、風に大様に揺れてゐる。これが我々を導いてくれるだらう。すると、我々は思ひがけない――もちろん、広告軽気球がどこから昇つてゐるかなぞと考へて見たりする暇は誰にもないが――それでも、ハイカラな球とは似つかない、汚い雨ざらしの物干台に到着する。
 浅草公園の裏口、田原町の交番の前を西へ折れて少しばかり行くと、廃寺になつたまま、空地として取残された場所がある。数多くの墓石は倒れて土に埋まつてゐ、その間に青い雑草がのぞいてゐるのが、古い卒塔婆を利用して作つた垣の隙間から見られる。さらに眼を転じると、この荒れた墓地に向つてひどく傾斜した三階建の家屋に気がつくだらう。――軽気球の繋がれてゐるのは、この三階の物干台で、朝と夕方には、縞銘仙の筒つぽの着物を着たここの主人が蒼白い顔を現して操作を行ふ。即ち、彼は、萎んだ軽気球が水素ガスを吹込まれると満足げに脹れあがつて、大きな影を落しながら、ゆるゆると昇つて行くのを眺めたり、大綱を巻いて引くと屋根一ぱいにひつかかりさうになつて下りて来るのを、たぐり寄せたりするのである。
 云ふまでもなく、これがこの四十すぎの男の本職ではない。東京空中宣伝会社から、こちらの地域の代理人として幾ばくかの手当は受取り、それも彼の重要な収入になつてゐるのだらうが、表向の商売は別にあるし、その他多くの副業も営んでゐるのである。――
 墓地から我々の見た彼の三階建の家は裏側に当つてゐるので、表の方へ廻つて彼の店を見るならば、彼が日に二合づつの牛乳を呑むに拘らず、乾操した皮膚をして、兎のやうに赤い眼の玉をキヨロキヨロさせ、身体中から垢の臭を発散させてゐる理由も、何だか了解できるやうな気がするだらう。それ程、彼の店は陰気で埃つぽく不衛生である。動いたことのない古物が――鍋釜、麦稈帽子、靴、琴、鏡、ボンボン時計、火鉢、玩具、ソロバン、弓、油絵、雑誌その他が古ぼけて、黄色く脂じみて、黴に腐つてゐる。唯、これらの雑然とした道具と道具との狭い間を生き生きと動いてゐるのは、主人の子供たちだけである。――細君はやはり赤茶けた栄養の悪い髪の毛を束ね、雀斑だらけの疲労した表情をしてゐるが、恐しく多産で年子に困つてゐる。かつて、あるテキヤに口説かれたことがあつたが、そして、もう少しのところで誘惑されて了ふところであつたが、彼女は思ひとどまつて次のやうに言訳をした程である。――自分は関係するとテキメンに…

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