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半七捕物帳
はんしちとりものちょう
作品ID1021
副題21 蝶合戦
21 ちょうがっせん
著者岡本 綺堂
文字遣い新字新仮名
底本 「時代推理小説 半七捕物帳(二)」 光文社時代小説文庫、光文社
1986(昭和61)年3月20日
入力者tatsuki
校正者ごまごま
公開 / 更新1999-08-29 / 2014-09-17
長さの目安約 31 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

     一

 江戸っ子は他国の土を踏まないのを一種の誇りとしているので、大体に旅嫌いであるが、半七老人もやはりその一人で、若い時からよんどころない場合のほかには、めったに旅をしたことが無いそうである。それがめずらしく旅行したということで、わたしが訪ねたときは留守であった。老婢の話によると、宇都宮の在にいる老人の甥の娘とかが今度むこを取るについて、わざわざ呼ばれて行ったということであった。それから十日ほど経つと、老人から老婢を使によこして、先日は留守で失礼をしたが、きのう帰宅しました、これはめずらしくもない物だが御土産のおしるしでございますと云って、日光羊羹と乾瓢とを届けてくれた。
 その挨拶ながら私が赤坂の家をたずねたのは、あくる日のゆう方で、六月なかばの梅雨らしい細雨がしとしとと降っていた。襟に落ちる雨だれに首をすくめながら、入口の格子をあけると、老人がすぐに顔を出した。
「はは、ばあやにしてはちっと早い。きっとあなただろうと思いました」
 いつもの笑顔に迎えられて、わたしは奥の横六畳の座敷へ通った。ばあやは近所へ買物に行ったということで、老人は自身に茶を淹れたり、菓子を出したりした。ひと通りの挨拶が済んで、老人は機嫌よく話し出した。
「あなたは義理が堅い。この降るのによくお出かけでしたね。あっちにいるあいだも、とかく降られ勝ちで困りましたよ」
「なにか面白いことはありませんでしたか」と、わたしは茶を飲みながら訊いた。
「いや、もう」と、老人は顔をしかめながら頭をふってみせた。「なにしろ、宇都宮から三里あまりも引っ込んでいる田舎ですからね。いや、それでもわたしの行っている間に、雀合戦があるというのが大評判で、わたくしも一度見物に出かけましたよ。何万羽とかいう評判ほどではありませんでしたが、それでも五六百羽ぐらいは入りみだれて合戦をする。あれはどういう訳でしょうかね」
「東京でも曾てそんな噂を聴いたことがありましたね」
「雀合戦、蛙合戦、江戸時代にはよくあったものです。この頃そんな噂の絶えたのは、雀や蛙がだんだんに減って来たせいでしょう。あいつらも大勢いると、自然縄張り争いか何かで仲間喧嘩をするようになるのかも知れません。人間と同じことでしょうよ。ははははは」
 それから枝がさいて、江戸時代の蛙やすずめの合戦話が始まった頃に、ばあやが帰って来た。雨の音が又ひとしきり強くきこえた。
「よく降りますね」と、老人は雨の音に耳をかたむけながら又云い出した。「今もお話し申した雀合戦、蛙合戦のほかに螢合戦、蝶合戦などというのもあります。螢合戦もわたくしは一度、落合の方で見たことがあります。それから蝶合戦……。いや、その蝶合戦について一つのお話がありますが、まだお聴かせ申しませんでしたかね」
「まだ伺いません。聴かしてください」と、私は一と膝のり出した。「その蝶合戦が…

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