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仇討禁止令
あだうちきんしれい
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「菊池寛 短篇と戯曲」 文芸春秋
1988(昭和63)年3月25日
入力者真先芳秋
校正者大野晋
公開 / 更新2000-08-26 / 2014-09-17
長さの目安約 36 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

          一

 鳥羽伏見の戦で、讃岐高松藩は、もろくも朝敵の汚名を取ってしまった。
 祖先が、水戸黄門光圀の兄の頼重で、光圀が後年伯夷叔斉の伝を読み、兄を越えて家を継いだことを後悔し、頼重の子綱条を養って子とし、自分の子鶴松を高松に送って、嗣子たらしめた。
 だから、高松藩は、徳川宗家にとっては御三家に次ぐ親しい間柄である。従って、維新の時、一藩挙って宗家大事という佐幕派であった。
 鳥羽伏見で敗れると、小河、小夫の両家老は、敗兵を率いて、大坂から高松へ逃げ帰った。
 一藩は、朝敵という名に脅えている時だった。四国で、勤王の魁首である土佐藩は、早くも朝敵追討の軍を起して、伊予に入り、同じく勤王の宇和島の藩兵を加え、松山の久松松平家を帰順させ、予讃の国境を越えて、讃岐へ入って来た。
 三千に余る大軍であった。讃岐が土佐兵の侵入を受けたのは、長曾我部元親以来、これが二度目である。
 高松藩の上下は、外敵の侵入に混乱し、人心恟々として、毎日のように城中で評定が行われた。
 帰順か抵抗か、藩論は容易に決せられなかった。
 今日も城中の大広間で、重臣たちが集って会議が行われている。
 佐幕派が七分、勤王派が三分という形勢であった。佐幕派の首領は、家老の成田頼母で、今年五十五になる頑固一徹の老人である。
「薩長土が、なんじゃ、皆幼帝をさしはさんで、己れ天下の権を取り、あわよくば徳川に代ろうという腹ではないか、虎の威を借りて、私欲を欲しいままにしようという狐どもじゃ。そういう連中の振りかざす大義名分に恐じ怖れて、徳川御宗家を見捨てるという法があろうか。御先祖頼重公が高松に封ぜられたのは、こういう時のために、四国を踏み固めようという将軍家の思し召しではないか。我々が祖先以来、高禄を頂いて、安閑と妻子を養ってこられたのは、こういう時のために、一命を捨てて、将軍家へ御奉公するためではなかったのか。こんな時に一命を捨てなければ、我々は先祖以来、禄盗人であったということになるではないか」
 そういって、大きな目を刮いて、一座を睨め回した。
「左様、左様!」
「ごもっとも」
「御同感!」
 座中、ところどころから声がかかった。
「左様では、ござりましょうが……」
 軽輩ではあったが、大坂にいて京洛の事情に通じているために、特に列席を許された藤沢恒太郎が、やや下手の座から、口を切った。
「すでに、有栖川宮が錦旗を奉じて、東海道をお下りになっているという確報も参っております。王政復古は、天下の大勢でござります。将軍家におかれても、朝廷へ御帰順の思し召しがあるという噂もござりまする。この際、将軍家の御意向も確かめないで、官軍である土佐兵と戦いますのはいかがなものでござりましょうか」
「将軍家に、帰順の思し召しあるなどと、奇怪なことを申されるなよ。鳥羽伏見には敗れたが、あれはいわ…

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