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愛と婚姻
あいとこんいん
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「現代日本文學大系 5 樋口一葉・明治女流文學・泉鏡花集」 筑摩書房
1972(昭和47)年5月15日
入力者小林徹
校正者鈴木厚司
公開 / 更新2000-09-20 / 2014-09-17
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 媒妁人先づいふめでたしと、舅姑またいふめでたしと、親類等皆いふめでたしと、知己朋友皆いふめでたしと、渠等は欣々然として新夫婦の婚姻を祝す、婚礼果してめでたきか。
 小説に於ける男女の主客が婚礼は最めでたし。何となれば渠等の行路難は皆合[#挿絵]の事ある以前既に経過し去りて、自来無事悠々の間に平和なる歳月を送ればなり。
 然れども斯の如きはたゞ一部、一篇、一局部の話柄に留まるのみ。其実一般の婦人が忌むべく、恐るべき人生観は、婚姻以前にあらずして、其以後にあるものなりとす。
 渠等が慈愛なる父母の掌中を出でて、其身を致す、舅姑はいかむ。夫はいかむ。小姑はいかむ。すべての関係者はいかむ。はた社会はいかむ。在来の経験に因りて見る処のそれらの者は果していかむ。豈寒心すべきものならずや。
 婦人の婚姻に因りて得る処のものは概ね斯の如し。而して男子もまた、先人曰く、「妻なければ楽少く、妻ある身には悲多し」とそれ然るのみ。
 然れども社会は普通の場合に於て、個人的に処し得べきものにあらず。親のために、子のために、夫のために、知己親類のために、奴僕のために。町のために、村のために、家のために、窮せざるべからず、泣かざるべからず、苦まざるべからず、甚しきに至りては死せざるべからず、常に我といふ一個簡単なる肉体を超然たらしむることを得で、多々他人に因りて左右せられ、是非せられ、猶且つ支配さるゝものたり。但愛のためには必ずしも我といふ一種勝手次第なる観念の起るものにあらず、完全なる愛は「無我」のまたの名なり。故に愛のためにせむか、他に与へらるゝものは、難といへども、苦といへども、喜んで、甘じて、これを享く。元来不幸といひ、窮苦といひ、艱難辛苦といふもの、皆我を我としたる我を以て、他に――社会に――対するより起る処の怨言のみ。愛によりて我なかりせば、いづくんぞそれ苦楽あらむや。
 情死、駈落、勘当等、これ皆愛の分弁たり。すなはち其人のために喜び、其人のために祝して、これをめでたしといはむも可なり。但社会のためには歎ずべきのみ。独り婚礼に至りては、儀式上、文字上、別に何等の愛ありて存するにあらず。唯男女相会して、粛然と杯を巡らすに過ぎず。人の未だ結婚せざるや、愛は自由なり。諺に曰く「恋に上下の隔なし」と。然り、何人が何人に恋するも、誰かこれを非なりとせむ。一旦結婚したる婦人はこれ婦人といふものにあらずして、寧ろ妻といへる一種女性の人間なり。吾人は渠を愛すること能はず、否愛すること能はざるにあらず、社会がこれを許さざるなり。愛することを得ざらしむるなり。要するに社会の婚姻は、愛を束縛して、圧制して、自由を剥奪せむがために造られたる、残絶、酷絶の刑法なりとす。
 古来いふ佳人は薄命なり、と、蓋し社会が渠をして薄命ならしむるのみ。婚姻てふものだになかりせば、何人の佳人か薄命なるべき。愛に於…

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