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あの時分
あのじぶん
作品ID1044
著者国木田 独歩
文字遣い新字新仮名
底本 「号外・少年の悲哀 他六編」 岩波文庫、岩波書店
1939(昭和14)年4月17日、1960(昭和35)年1月25日第14刷改版
入力者紅邪鬼
校正者LUNA CAT
公開 / 更新2000-08-21 / 2014-09-17
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 さて、明治の御代もいや栄えて、あの時分はおもしろかったなどと、学校時代の事を語り合う事のできる紳士がたくさんできました。
 落ち合うごとに、いろいろの話が出ます。何度となく繰り返されます。繰り返しても繰り返しても飽くを知らぬのは、またこの懐旧談で、浮き世の波にもまれて、眉目のどこかにか苦闘のあとを残すかたがたも、「あの時分」の話になると、われ知らず、青春の血潮が今ひとたびそのほおにのぼり、目もかがやき、声までがつやをもち、やさしや、涙さえ催されます。
 私が来た十九の時でした、城北大学といえば今では天下を三分してその一を保つとでも言いそうな勢いで、校舎も立派になり、その周囲の田も畑もいつしか町にまでなってしまいましたがいわゆる、「あの時分」です、それこそ今のおかたには想像にも及ばぬことで、じゃんと就業の鐘が鳴る、それが田や林や、畑を越えて響く、それ鐘がと素人下宿を上ぞうりのまま飛び出す、田んぼの小道で肥えをかついだ百姓に道を譲ってもらうなどいうありさまでした。
 ある日樋口という同宿の青年が、どこからか鸚鵡を一羽、美しいかごに入れたまま持って帰りました。
 この青年は、なぜかそのころ学校を休んで、何とはなしに日を送っていましたが、私には別に不思議にも見えませんでした。
 午後三時ごろ、学校から帰ると、私の部屋に三人、友だちが集まっています、その一人は同室に机を並べている木村という無口な九州の青年、他の二人は同じこの家に下宿している青年で、政治科および法律科にいる血気の連中でした。私を見るや、政治科の鷹見が、
「窪田君、窪田君、珍談があるよ」と声を低く、「きのうから出ていない樋口が、どこからか鸚鵡を持って来たが、君まだ見まい、早く見て来たまえ」と言いますから、私はすぐ樋口の部屋に行きました。裏の畑に向いた六畳の間に、樋口とこの家の主人の後家の四十七八になる人とが、さし向かいで何か話をしているところでした。この後家の事を、私どもはみなおッ母さんとよんでいました。
 おッ母さんはすこぶるむずかしい顔をして樋口の顔を見ています、樋口はいつもの癖で、下くちびるをかんではまた舌の先でなめて、下を向いています。そして鸚鵡のかごが本箱の上に置いてあります。
「樋口さん樋口さん」と突然鸚鵡が間のぬけた調子で鳴いたので、
「や、こいつは奇体だ、樋口君、どこから買って来たのだ、こいつはおもしろい」と、私はまだ子供です、実際おもしろかった、かごのそばに寄ってながめました。
「うん、おもしろい鳥だろう」と、樋口はさびしい笑いをもらしてちょっと振り向きましたが、すぐまた、下を向いてしまいました、
 なぜかおッ母さんは、泣き面です、そして私をしかるように「窪田さん、そんなものをごらんになるならあっちへ持っていらっしゃい」
「いいかい君、」と、私は持ち主の樋口に聞きますと、樋口は黙ってう…

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