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復讐
ふくしゅう
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「夢野久作全集8」 ちくま文庫、筑摩書房
1992(平成4)年1月22日
入力者柴田卓治
校正者ちはる
公開 / 更新2000-10-11 / 2014-09-17
長さの目安約 48 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 昭和二年の二月中旬のこと……S岳の絶頂の岩山が二三日灰色の雲に覆われているうちに、麓の村々へ白いものがチラチラし始めたと思うと、近年珍らしい大雪になった。
 その麓のS岳村から五六町離れた山裾に、この界隈での物持と云われている藤沢病院が建っていた。田舎には珍らしい北欧型のスレート屋根を、古風な破風造りの母屋の甍と交錯さして、日が暮れても、ハッキリとした輪廓を、雪の中に描き現わしていたが、やがて、その玄関の左右から明るいのと、暗いのと、二いろの電燈が輝き出した。
 向って右側の明るい窓は、この病院の薬局で、二段重ねの薬戸棚に囲まれた中央の調合台の前には、この家の養女として育って来た品夫が、白い看護婦服を着て、キチンと腰をかけていた。彼女の前のセピア色の平面には、きょう出された処方箋や、薬品の註文の写しや、新薬のビラの綴じ込みや、カード式の診断簿等というものが、色々の文房具や、薬品などと一緒に一パイに取り散らしてあった。
 彼女の皮膚は厚化粧をしているかのように白かった。その頬と唇は臙脂をさしたかのように紅く、その睫と眉は植えたもののように濃く長かった。髪毛も同様に、仮髪かと思われるくらい豊かに青々としているのを、眥が釣り上がるほど引き詰めて、長い襟足の附け根のところに大きく無造作に渦巻かせていた。そうして、しなやかな身体を机に凭たせかけながら、切れ目の長い一重瞼を伏せて、黒澄んだ瞳を隙間もなく書類の上に走らせるのであったが、その表情は、ある時は十二三の小娘のように無邪気に、又、ある瞬間は二十四五の年増女のようにマセて見えた。又ある時は西洋の名画に在る聖母のように気高く……かと思うと、その次の刹那には芝居の毒婦のように妖艶にも……。
 彼女はホントウに忙しいのであった。
 近いうちに彼女と式を挙げる筈になっている藤沢家の養子で、前院長の甥に当る健策という医学士は、昨年の暮に、養父の玄洋氏が急性肺炎で死亡すると間もなく、大学の研究を中止して帰って来たのであったが、なかなかの元気者で、盛んに広告をして患者を殖やす上に、何から何まで大学式のキチョウメンな遣り方をするので、その忙しさといったら無かった。その中でも薬局と会計の仕事だけは、他人に任せない家風だったので、前の院長の時から引き続いて、品夫がタッタ一人で引き受けているのであったが、田舎の女学校出の彼女にとっては、独逸語の処方箋を読み分ける事からして容易ならぬ骨折りで、寧ろ超人間的の仕事といってもいい位であった。
 しかし、そのうちに彼女はヤット仕事を終った。新薬の広告ビラを板の上に綴じ付けて、会計簿の上にキチンと置くと、ホッと溜息をしながら眼をあげて、正面の薬戸棚の間に懸かっている大きなボンボン時計を見た。その瞬間に時計は、彼女のこの上もない親切な伴侶ででもあるかのように、十一時の第一点を打ち出した。
 その音…

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