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語られざる哲学
かたられざるてつがく
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「語られざる哲学」 講談社学術文庫、講談社
1977(昭和52)年6月10日
入力者大野晋
校正者小林繁雄
公開 / 更新2000-10-02 / 2014-09-17
長さの目安約 43 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

     一

 懺悔は語られざる哲学である。それは争いたかぶる心のことではなくして和ぎへりくだる心のことである。講壇で語られ研究室で論ぜられる哲学が論理の巧妙と思索の精緻とを誇ろうとするとき、懺悔としての語られざる哲学は純粋なる心情と謙虚なる精神とを失わないように努力する。語られる哲学が多くの人によって読まれ称讃されることを求めるに反して、語られざる哲学はわずかの人によって本当に同情され理解されることを欲するのである。それゆえに語られざる哲学は頭脳の鋭利を見せつけようとしたり名誉を志したりする人が試みない哲学である。なぜならば語られざる哲学の本質は鋭さよりも深さにあり巧妙よりも純粋にあるからである。またそれは名誉心を満足させるどころかかえってそれを否定するところに成立するものであるからである。
 私のいま企てようとする哲学は、論理的遊戯に慣れた哲学者たちが夢にも企てようとは思わない哲学である。私は自己の才能を試みんがためにこれを書くのではなく、自己の心情の純粋を回復せんがためにこの努力をするのである。そしてこの努力が本当に成功するならば、私はこの一篇を書き終るとともに全く新しい性格の人として見出されるであろう。私は今年二十三である。すべてを ab ovo(始めから)に始めるために過去を食いつくしてしまわなければならない。私は私の半生の生活を回顧してその精算書を作ることを要求されている。そして私の精算書はつぎのようなふしぎな形式をとるであろう。私は自分が何をもっているかまた何をもっていないかを正直に知らなければならない。そしてそれの正当な認識はきっと私の虚栄心を破壊するにちがいない。けれど真に生きることはそこから始るのだ。私の努力が虚しく終るかあるいはよき実を結ぶか否かは私が本当に正直になりうるか否かによって決ることである。
 かつて私は同じような試みに悩ましいいく日かを送ったことがある。最初の試みは失敗して第二の試みがつづいた。第二の試みが失敗して第三の試みがつづいた。その当時私は失敗の原因を一方では私の体験の貧しさと思索の弱さと他方ではこうした仕事に専念することによって私は断片作者になりはしないかとの反省とに帰していた。私はいま私の失敗のさらに重要な原因を正しく見定めることができるように思う。体験の貧しさと思索の弱さとはいかにも失敗の原因には相違ないが、私がその失敗の後に非常な焦躁と不安とを感じたことをもって見れば私の企ての動機のなかに不純なものが含まれていたことは明らかである。原稿はその最初の十枚にもみたない前にいく度となく裂かれたり焼かれたりした。私が草稿を作ろうとした動機の有力なものに、その草稿が人々によって読まれ称讃されることがなかったとは誰が保証することができよう。私の失敗は遺憾なく私のかくされていた虚栄心を暴露した。私は隠謀があばかれたもしく…

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