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日光小品
にっこうしょうひん
作品ID110
著者芥川 竜之介
文字遣い新字新仮名
底本 「羅生門・鼻・芋粥」 角川文庫、角川書店
1950(昭和25)年10月20日
入力者j.utiyama
校正者かとうかおり
公開 / 更新1999-01-11 / 2014-09-17
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

     大谷川

 馬返しをすぎて少し行くと大谷川の見える所へ出た。落葉に埋もれた石の上に腰をおろして川を見る。川はずうっと下の谷底を流れているので幅がやっと五、六尺に見える。川をはさんだ山は紅葉と黄葉とにすきまなくおおわれて、その間をほとんど純粋に近い藍色の水が白い泡を噴いて流れてゆく。
 そうしてその紅葉と黄葉との間をもれてくる光がなんとも言えない暖かさをもらして、見上げると山は私の頭の上にもそびえて、青空の画室のスカイライトのように狭く限られているのが、ちょうど岩の間から深い淵をのぞいたような気を起させる。
 対岸の山は半ばは同じ紅葉につつまれて、その上はさすがに冬枯れた草山だが、そのゆったりした肩には紅い光のある靄がかかって、かっ色の毛きらずビロードをたたんだような山の肌がいかにも優しい感じを起させる。その上に白い炭焼の煙が低く山腹をはっていたのはさらに私をゆかしい思いにふけらせた。
 石をはなれてふたたび山道にかかった時、私は「谷水のつきてこがるる紅葉かな」という蕪村の句を思い出した。

     戦場が原

 枯草の間を沼のほとりへ出る。
 黄泥の岸には、薄氷が残っている。枯蘆の根にはすすけた泡がかたまって、家鴨の死んだのがその中にぶっくり浮んでいた。どんよりと濁った沼の水には青空がさびついたように映って、ほの白い雲の影が静かに動いてゆくのが見える。
 対岸には接骨木めいた樹がすがれかかった黄葉を低れて力なさそうに水にうつむいた。それをめぐって黄ばんだ葭がかなしそうに戦いて、その間からさびしい高原のけしきがながめられる。
 ほおけた尾花のつづいた大野には、北国めいた、黄葉した落葉松が所々に腕だるそうにそびえて、その間をさまよう放牧の馬の群れはそぞろに我々の祖先の水草を追うて漂浪した昔をおもい出させる。原をめぐった山々はいずれもわびしい灰色の霧につつまれて、薄い夕日の光がわずかにその頂をぬらしている。
 私は荒涼とした思いをいだきながら、この水のじくじくした沼の岸にたたずんでひとりでツルゲーネフの森の旅を考えた。そうして枯草の間に竜胆の青い花が夢見顔に咲いているのを見た時に、しみじみあの I have nothing to do with thee という悲しい言が思い出された。

     巫女

 年をとった巫女が白い衣に緋の袴をはいて御簾の陰にさびしそうにひとりですわっているのを見た。そうして私もなんとなくさびしくなった。
 時雨もよいの夕に春日の森で若い二人の巫女にあったことがある。二人とも十二、三でやはり緋の袴に白い衣をきて白粉をつけていた。小暗い杉の下かげには落葉をたく煙がほの白く上って、しっとりと湿った森の大気は木精のささやきも聞えそうな言いがたいしずけさを漂せた。そのもの静かな森の路をもの静かにゆきちがった、若い、いや幼い巫女の後…

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