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にわ
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「現代日本文学大系 43 芥川龍之介集」 筑摩書房
1968(昭和43)年8月25日
初出「中央公論」1922(大正11)年7月
入力者j.utiyama
校正者もりみつじゅんじ
公開 / 更新1999-03-01 / 2014-09-17
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

     上

 それはこの宿の本陣に当る、中村と云ふ旧家の庭だつた。
 庭は御維新後十年ばかりの間は、どうにか旧態を保つてゐた。瓢箪なりの池も澄んでゐれば、築山の松の枝もしだれてゐた。栖鶴軒、洗心亭、――さう云ふ四阿も残つてゐた。池の窮まる裏山の崖には、白々と滝も落ち続けてゐた。和の宮様御下向の時、名を賜はつたと云ふ石燈籠も、やはり年々に拡がり勝ちな山吹の中に立つてゐた。しかしその何処かにある荒廃の感じは隠せなかつた。殊に春さき、――庭の内外の木々の梢に、一度に若芽の萌え立つ頃には、この明媚な人工の景色の背後に、何か人間を不安にする、野蛮な力の迫つて来た事が、一層露骨に感ぜられるのだつた。
 中村家の隠居、――伝法肌の老人は、その庭に面した母屋の炬燵に、頭瘡を病んだ老妻と、碁を打つたり花合せをしたり、屈託のない日を暮してゐた。それでも時々は立て続けに、五六番老妻に勝ち越されると、むきになつて怒り出す事もあつた。家督を継いだ長男は、従兄妹同志の新妻と、廊下続きになつてゐる、手狭い離れに住んでゐた。長男は表徳を文室と云ふ、癇癖の強い男だつた。病身な妻や弟たちは勿論、隠居さへ彼には憚かつてゐた。唯その頃この宿にゐた、乞食宗匠の井月ばかりは、度々彼の所へ遊びに来た。長男も不思議に井月にだけは、酒を飲ませたり字を書かせたり、機嫌の好い顔を見せてゐた。「山はまだ花の香もあり時鳥、井月。ところどころに滝のほのめく、文室」――そんな附合も残つてゐる。その外にまだ弟が二人、――次男は縁家の穀屋へ養子に行き、三男は五六里離れた町の、大きい造り酒屋に勤めてゐた。彼等は二人とも云ひ合せたやうに、滅多に本家には近づかなかつた。三男は居どころが遠い上に、もともと当主とは気が合はなかつたから。次男は放蕩に身を持ち崩した結果、養家にも殆帰らなかつたから。
 庭は二年三年と、だんだん荒廃を加へて行つた。池には南京藻が浮び始め、植込みには枯木が交るやうになつた。その内に隠居の老人は、或旱りの烈しい夏、脳溢血の為に頓死した。頓死する四五日前、彼が焼酎を飲んでゐると、池の向うにある洗心亭へ、白い装束をした公卿が一人、何度も出たりはひつたりしてゐた。少くとも彼には昼日なか、そんな幻が見えたのだつた。翌年は次男が春の末に、養家の金をさらつたなり、酌婦と一しよに駈落ちをした。その又秋には長男の妻が、月足らずの男子を産み落した。
 長男は父の死んだ後、母と母屋に住まつてゐた。その跡の離れを借りたのは、土地の小学校の校長だつた。校長は福沢諭吉翁の実利の説を奉じてゐたから、庭にも果樹を植ゑるやうに、何時か長男を説き伏せてゐた。爾来庭は春になると、見慣れた松や柳の間に、桃だの杏だの李だの、雑色の花を盛るやうになつた。校長は時々長男と、新しい果樹園を歩きながら、「この通り立派に花見も出来る。一挙両得ですね」と批…

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