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若葉の雨
わかばのあめ
作品ID1114
著者薄田 泣菫 / 薄田 淳介
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆43 雨」 作品社
1986(昭和61)年5月25日
入力者加藤恭子
校正者今井忠夫
公開 / 更新2000-10-13 / 2014-09-17
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 野も、山も、青葉若葉となりました。この頃は――とりわけて今年はよく雨が降るやうです。雨といつてもこの頃のは、草木の新芽を濡らす春さきの雨や、もつと遅れて来る梅雨季の雨に比べて、また変つた味ひがあります。春さきの雨はつめたい。また梅雨季の雨は憂鬱にすぎますが、その間にはさまれた晩春の雨は、明るさと、快活さと、また暖かさとに充ち溢れて、銀のやうにかがやいてゐます。春さきの雨は無言のまま濡れかかりますが、この頃の雨はひそひそと声を立てて降つて来ます。その声は空の霊と草木の精とのささやきで、肌ざはりの柔かさ、溜息のかぐはしさも思ひやられるやうな、静かな親みをもつてゐます。時々風が横さまに吹きつけると、草木の葉といふ葉は、雨のしづくが首筋を伝つて腋の下や、乳のあたりに滑り込んだやうに、冷たさとくすぐつたさとで、たまらなささうに身を揺ぶつて笑ひくづれてゐるらしく見えるのも、この頃の雨でないと味はれない快活さです。
 この快活さと明るさとにそそのかされて、ひき蛙はのつそりと草葉のかげから這ひ出して来ます。どうかした拍子に雨だれが顔の上に落ちかかると、ひき蛙はちやうど酔ひどれが口の端の酒の泡を気にするやうに、不器用な手つきでそつと鼻さきを撫でまはしてゐます。そして時々立ちとまつて、昔馴染の俳人一茶が、旅姿のままでぐしよ濡れになつてゐはしないかと気づかふやうに、きよろきよろとあたりを見まはしてゐます。ひき蛙よ。お前が尋ねてゐるらしい一茶は、いい俳人だつたが、彼の魂は長年の悲みと苦みとのためにねぢけてゐる。明るいこの頃の雨と一しよに濡れるには、ふさはしからぬ友達の一人です。お前にはもつといい友達がそこに出て来ました。
 それは蟹です。蟹は土まみれの甲羅のままで、庭石のかげから横柄な身ぶりで這ひ出して来ました。鋼鉄製の蒸気機関の模型か何かのやうな厳畳づくりで、ぶつぶつ泡を吹いてゐるところは、どう見てもドイツ人の考案したらしい生物で、甲羅のどこかに『クルツプ会社製造』とでも極印が打つてありさうな気がします。私の家は海近い砂地に建つてゐるせゐか、蟹が沢山ゐて、梅雨季になると、壁を伝ひ、柱にすがつて畳の上にまで這ひあがつて来ることがよくあります。蟹よ。お前とひき蛙とは、それぞれ異つた生活をしてはゐるが、どちらも自尊家で、自尊家につきものの孤独性をもつてゐるところはよく似てゐるやうです。むかし厭世哲学者のシヨペンハウエルは、イタリイの都に旅をして、ところの人達――わけて美しい婦人達が、自分に対しては一向冷淡なのにひきかへて、同じ時同じ都に来てゐた厭世詩人のバイロンに対しては、まるで王侯をもてなすやうな歓迎ぶりなのを見て、ひどく機嫌を損じて、そこそこに旅をひきあげたといひますが、蟹とひき蛙とはどちらも曲者揃ひで、不器量なことにかけてもいい取り合せですから、お互に機嫌を悪くしあはないですむ…

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