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雪の翼
ゆきのつばさ
作品ID1187
著者泉 鏡花
文字遣い旧字旧仮名
底本 「鏡花全集 卷六」 岩波書店
1941(昭和16)年11月10日
入力者土屋隆
校正者門田裕志
公開 / 更新2005-11-18 / 2014-09-18
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 柏崎海軍少尉の夫人に、民子といつて、一昨年故郷なる、福井で結婚の式をあげて、佐世保に移住んだのが、今度少尉が出征に就き、親里の福井に歸り、神佛を祈り、影膳据ゑつつ座にある如く、家を守つて居るのがあつた。
 旅順の吉報傳はるとともに幾干の猛將勇士、或は士卒――或は傷つき骨も皮も散々に、影も留めぬさへある中に夫は天晴の功名して、唯纔に左の手に微傷を受けたばかりと聞いた時、且つ其の乘組んだ艦の帆柱に、夕陽の光を浴びて、一羽雪の如き鷹の來り留つた報を受け取つた時、連添ふ身の民子は如何に感じたらう。あはれ新婚の式を擧げて、一年の衾暖かならず、戰地に向つて出立つた折には、忍んで泣かなかつたのも、嬉涙に暮れたのであつた。
 あゝ、其のよろこびの涙も、夜は片敷いて帶も解かぬ留守の袖に乾きもあへず、飛報は鎭守府の病院より、一家の魂を消しに來た。
 少尉が病んで、豫後不良とのことである。
 此の急信は××年××月××日、午後三時に屆いたので、民子は蒼くなつて衝と立つと、不斷着に繻子の帶引緊めて、つか/\と玄關へ。父親が佛壇に御明を點ずる間に、母親は、財布の紐を結へながら、駈けて出て之を懷中に入れさせる、女中がシヨオルをきせかける、隣の女房が、急いで腕車を仕立に行く、とかうする内、お供に立つべき與曾平といふ親仁、身支度をするといふ始末。さて、取るものも取りあへず福井の市を出發した。これが鎭守府の病院に、夫を見舞ふ首途であつた。
 冬の日の、山國の、名にしおふ越路なり、其日は空も曇りたれば、漸く町をはづれると、九頭龍川の川面に、早や夕暮の色を籠めて、暗くなりゆく水蒼く、早瀬亂れて鳴る音も、千々に碎けて立つ波も、雪や!其の雪の思ひ遣らるゝ空模樣。近江の國へ山越に、出づるまでには、中の河内、木の芽峠が、尤も近きは目の前に、春日野峠を控へたれば、頂の雲眉を蔽うて、道のほど五里あまり、武生の宿に着いた頃、日はとつぷりと暮れ果てた。
 長旅は抱へたり、前に峠を望んだれば、夜を籠めてなど思ひも寄らず、柳屋といふに宿を取る。
 路すがら手も足も冷え凍り、火鉢の上へ突伏しても、身ぶるひやまぬ寒さであつたが、
 枕に就いて初夜過ぐる頃ほひより、少し氣候がゆるんだと思ふと、凡そ手掌ほどあらうといふ、俗に牡丹となづくる雪が、しと/\と果しもあらず降出して、夜中頃には武生の町を笠のやうに押被せた、御嶽といふ一座の峰、根こそぎ一搖れ、搖れたかと思ふ氣勢がして、風さへ颯と吹き添つた。
 一の谷、二の谷、三の谷、四の谷かけて、山々峰々縱横に、荒れに荒るゝが手に取るやう、大波の寄せては返すに齊しく、此の一夜に北國空にあらゆる雪を、震ひ落すこと、凄まじい。
 民子は一炊の夢も結ばず。あけ方に風は凪いだ。
 昨夜雇つた腕車が二臺、雪の門を叩いたので、主從は、朝餉の支度も[#挿絵]々に、身ごしらへして、戸外に出ると、…

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