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柿色の紙風船
かきいろのかみふうせん
作品ID1248
著者海野 十三
文字遣い新字新仮名
底本 「海野十三全集 第2巻 俘囚」 三一書房
1991(平成3)年2月28日
初出「新青年」1934(昭和9)年2月号
入力者tatsuki
校正者花田泰治郎
公開 / 更新2005-07-10 / 2014-09-18
長さの目安約 29 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

「おや、ここに寝ていた患者さんは?」
 と林檎のように血色のいい看護婦が叫んだ。彼女の突っ立っている前には、一つの空ッぽの寝台があった。
「ねえ、あんた。知らない?」
 彼女は、手近に居た青ン膨れの看護婦に訊いた。
「あーら、あたし知らないわよ」
 といって編物の手を停めると、グシャグシャにシーツの乱れているその寝台の上を見た。
「あーら、本当だ。居ないわネ」
「ど、どこへ行ったんでしょうネ」
「ご不浄へ行ったんじゃないこと」
「ああ、ご不浄へネ。そうかしら……でも変ね。この方、ご不浄へ行っちゃいけないことになってんのよ」
「まあどうして?」
「どうしてといってネ、この方、つまり……あれなのよ、痔が悪いんでしょ。それでラジウムで灼いているんですわ。判るでしょう。つまり肛門にラジウムを差し込んであるんだから、ご不浄へは行っちゃいけないのよ」
「治療中だからなのねェ」
「それもそうだけれどサ、もし用を足している間に、下に落ちてしまうと、あのラジウムは小さいから、どこへ行ったか解らなくなる虞れがあるでしょう」
「そうね。ラジウムて随分高価いんでしょ」
「ええ。婦長さんが云ってたわ。あの鉛筆の芯ほどの太さで僅か一センチほどの長さなのが、時価五六万円もするですって。ああ大変、あれが無くなっちゃ大変だわ。あたし、ご不浄へ行って探してみるわ。だけどもし万一見付からなかったら、あたし、どうしたらいいでしょうネ」
「そんなことよか、早く行って探していらっしゃいよ」
「そうね。ああ、大変!」
 林檎のように顔色の良かった看護婦も、俄かに青森産のそれのように蒼味を加えて、アタフタと室外へ出ていった。
 だが彼女は、出ていったと思ったら、五分間と経たないうちに、もう引返して来た。引返して来たというより、むしろ飛び込んで来たという方が当っていた。その顔色と云えばまったく血の気もなく蒼褪めて――。
「ああーら、どこにもあの人、居ないわ。あたし、どうしましょう。ああーッ」
 彼女は、藻抜けの殻の寝台の上に身を投げかけると、あたり憚らずオンオン泣き出した。その奇妙な泣き声に駭いて、婦長が駆けつけてくる。朋輩が寄ってくる。はては医局の扉が開いて医局長以下が、白い手術着をヒラつかせて、
「なんだなんだ」
「どうしたどうした」
 と、泣き声のする見当に繰り出してきた。
 それからの病院内の騒ぎについては、説明するまでもあるまい。なにしろ時価三万五千円のラジウムを肛門に挿んだ患者が行方不明になったというのである。患者のことは兎に角、ラジウムはどっかそこら辺の廊下にでも落ちていまいかというので、用務員は勿論、看護婦までが総出で探しまわった。
「無い……」
「どうも見つからん」
「困ったわねエ。でも探すものが、あまり小さすぎるのだわ」
 そのうちに廊下に大きな掲示が貼り出された。「懸賞」と赤インキで二…

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