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死の快走船
しのかいそうせん
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「とむらい機関車」 国書刊行会
1992(平成4)年5月25日
初出「新青年」博文館、1933(昭和8)年7月号
入力者大野晋
校正者川山隆
公開 / 更新2009-03-19 / 2014-09-21
長さの目安約 59 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

          一

 太い引きずるような波鳴りの聞えるうらさびた田舎道を、小一時聞も馬を進ませつづけていた私達の前方には、とうとう岬の、キャプテン深谷邸が見えはじめた。
 藍碧の海をへだてて長く突出した緑色の岬の端には、眼の醒めるような一群の白堊館が、折からの日差しに明々と映えあがる。向って左の方に、ひときわ高くあたかも船橋のような屋上露台を構えたのが主館であろう。進むにつれて同じように白い小さな船室風の小屋が見えはじめ、小屋の傍らにはこれも又白く塗られた細長い柱が、海近く青い空の中へくっきりと聳えだした。邸の周囲には一本の樹木もなく、ただ美しい緑色の雑草が、肌目のよい天鵞絨のようにむっちりと敷き詰って、それが又玩具のような白い家々に快い夢のような調和を投げかける。が私達が岬へ近づくに従って、それは雑草ではなく極めてよく手入れの行き届いた見事な芝生であることが判って来た。
 深谷邸の主人と云うのは、なんでも十年ほど前まで某商船会社で、欧洲航路の優秀船の船長を勤めていたと云い、相当な蓄財もあるらしく退職後はこうして人里はなれた美しい海岸に邸を構えて、どちらかと云えば隠遁的な静かな生活をしていた謂わば隠居船長なのであるが、永い間の海の暮しが身について忘れかねたのか、まるで大海の中のような或は絶海の孤島のような荒れ果てたこの地方の、それも海の中へ突出した船形の岬の上へ、しかもまるでそれが船の上の建物ででもあるかのような家を建てて日ねもす波の音を聞き暮すと云う。不幸にして、私はまだ一度もこの隠居船長に面識を持たないのであるが、そしていま又こうして夫人の重大な招きの電話を受けて始めて深谷邸を訪れる機会を持ちながらもいまはもう会おうにも会えない事情に立ち至ったのであるが、かつて私のところへ二、三度薬を取りに来たこの家の召使の言葉に依れば、なんでも深谷氏のこの奇妙な海への憧れは己れの住う家の構えや地形のみではあきたらず、日常生活の服装から食事にまでも海の暮しをとりいれて、はては夫人召使から時折この家を訪なう外来の客にいたるまで己れを呼ぶにキャプテンの敬称を強要すると云う、それはまるで海の生活を殆んどそのまま地獄の果までも引っ提げて行こうほどの激しいひたむきな執念だった。されば既に還暦を越した老紳士で人柄としては無口な穏かな人でありながら、家庭と云うものにかけてはまことに冷淡で、わけてもひとつの妙な癖を持っていてしばしば家人を困らしていたとのこと。それはひとくちに云えば並はずれたヨット狂で、それも朝から晩まで附近の海を我がもの顔に駈け廻ると云う程度のものではなく、夜になって辺りが闇にとざされる頃から青白い海霧が寒む寒むと立てこむ夜中にかけて墨のような闇の海を何処をなにしにほっつき廻るのか家人が気を揉んで注意をしても一向に聞きいれないとのこと。もっとも私のところへ取りに…

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