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小説の予言者
しょうせつのよげんしゃ
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「折口信夫全集 第廿七巻」 中央公論社
1968(昭和43)年1月25日
初出『「太宰治作品集」内容見本』創元社、1951(昭和26年)2月
入力者高柳典子
校正者多羅尾伴内
公開 / 更新2004-01-17 / 2014-09-18
長さの目安約 1 ページ(500字/頁で計算)
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本文より




私の知つた文學者には、豫言者だちの人と、饒舌家型の人とがあつて、著しい相違を見せてゐる。勿論、太宰君は豫言者型といふよりも、豫言者と言つた方が、もつと適切なことを思はせてゐた。
宗教の上の豫言者が、その表現の思ふ壺にはまるまでは、多く饒舌家に類してゐた。太宰君の作品にもさういふ風があつて、語がしきりに空[#挿絵]りしたこともある。だが誰も認めてゐる彼の築いた「異質の文學」は、世間は勿論、彼自身意識してゐないこの次の人生を報告しようとして、もがいてゐたのである。
そんな點では徒らに説明の多い同時代の哲人たちよりも、もつと哲學人らしかつたと言へる。ただ惜しいことは、それをつきとめて、具體的なものを我々に示すことが出來なかつた點である。饒舌の藝術なる文學に慣れた我々は、そんなことを言ふ。だが、繪であり更に音樂であつたなら、太宰君の到達した程度で、凡、十分だと言ふことになつたはずである。



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