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銀座幽霊
ぎんざゆうれい
作品ID1269
著者大阪 圭吉
文字遣い新字新仮名
底本 「とむらい機関車」 国書刊行会
1992(平成4)年5月25日
初出「新青年」博文館、1936(昭和11)年10月号
入力者大野晋
校正者川山隆
公開 / 更新2007-11-09 / 2014-09-21
長さの目安約 27 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

          一

 みち幅三間とない横町の両側には、いろとりどりの店々が虹のように軒をつらねて、銀座裏の明るい一団を形づくっていた。青いネオンで「カフェ・青蘭」と書かれた、裏露路にしてはかなり大きなその店の前には、恒川と呼ぶ小綺麗な煙草店があった。二階建で間口二間足らずの、細々と美しく飾りたてた明るい店で、まるで周囲の店々から零れおちるジャズの音を掻きあつめるように、わけもなくその横町の客を一手に吸いよせて、ぬくぬくと繁昌していた。
 その店の主人というのは、もう四十をとっくに越したらしい女で、恒川房枝――女文字で、そんな標札がかかっていた。横町の人びとの噂によると、なんでも退職官吏の未亡人ということで、もう女学校も卒えるような娘が一人あるのだが、色の白い肉づきの豊かな女で、歳にふさわしく地味なつくりを装ってはいるが、どこかまだ燃えつきぬ若さが漲っていた。そしていつの頃からか、のッぺりした三十がらみの若い男が、いり込んで、遠慮深げに近所の人びとと交際うようになっていた。けれども、酔い痴れたようなその静けさは、永くは続かなかった。煙草店が繁昌して、やがて女中を兼ねた若い女店員が雇われて来ると、間もなく、いままで穏かだった二人の調和が、みるみる乱れて来た。澄子と呼ぶ二十を越したばかりのその女店員は、小麦色の血色のいい娘で、毬のようにはずみのいい体を持っていた。
 煙草屋の夫婦喧嘩を真ッ先にみつけたのは、「青蘭」の女給達だった。「青蘭」の二階のボックスから、窓越しに向いの煙草屋の表二階が見えるのだが、なにしろ三間と離れていない街幅なので、そこから時どき、思いあまったような女主人のわめき声が、聞えて来るのだった。時とすると、窓の硝子扉へ、あられもない影法師のうつることさえあった。そんな時「青蘭」の女達は、席をへだてて客の相手をしていながらも、そっと顔を見合せては、そこはかとない溜息をつく。ところが、そうした煙草屋の不穏な空気は、バタバタと意外に早く押しつめられて、ここに、至極不可解きわまる奇怪な事件となって、なんとも気味の悪い最後にぶつかってしまった。そしてその惨劇の目撃者となったのは、恰度その折、「青蘭」の二階の番に当っていた女給達だった。
 それは天気工合からいっても、なにか間違いの起りそうな、変な気持のする晩のこと、宵の口から吹きはじめた薄ら寒い西の風が、十時頃になってふッと止まってしまうと、急に空気が淀んで、秋の夜とは思われない妙な蒸暑さがやって来た。いままで表二階の隅の席で、客の相手をしていた女給の一人は、そこで腰をあげると、ハンカチで襟元を煽りながら窓際によりそって、スリ硝子のはまった開き窓を押しあけたのだが、何気なく前の家を見ると、急に悪い場面でも見たように顔をそむけて、そのまま自分の席へ戻り、それから仲間達へ黙って眼で合図を送った。
 煙草屋…

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