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鶴は病みき
つるはやみき
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「昭和文学全集 第5巻」 小学館
1986(昭和61)年12月1日
初出「文学界」1936(昭和11)年6月号
入力者阿部良子
校正者松永正敏
公開 / 更新2001-04-03 / 2014-09-17
長さの目安約 54 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 白梅の咲く頃となると、葉子はどうも麻川荘之介氏を想い出していけない。いけないというのは嫌という意味ではない。むしろ懐しまれるものを当面に見られなくなった愛惜のこころが催されてこまるという意味である。わが国大正期の文壇に輝いた文学者麻川荘之介氏が自殺してからもはや八ヶ年は過ぎた。
 白梅と麻川荘之介氏が、何故葉子の心のなかで相関聯しているのか、麻川氏と葉子の最後の邂逅が、葉子が熱海へ梅を観に行った途上であった為めか、あるいは、麻川氏の秀麗な痩躯長身を白梅が聯想させるのか、または麻川氏の心性の或る部分が清澄で白梅に似ているとでもいうためか――だが、葉子が麻川氏を想い出すいとぐちは白梅の頃であり乍ら結局葉子がふかく麻川氏を想うとき場所は鎌倉で季節は夏の最中となる。葉子達一家は、麻川荘之介氏の自殺する五年前のひと夏、鎌倉雪の下のホテルH屋に麻川氏と同宿して避暑して居た。
 大正十二年七月中旬の或日、好晴の炎天下に鎌倉雪の下、長谷、扇ヶ谷辺を葉子は良人と良人の友と一緒に朝から歩き廻って居た。七月下旬から八月へかけて一家が避暑する貸家を探す為めであった。光る鉄道線路を越えたり、群る向日葵を処々の別荘の庭先に眺めたり、小松林や海岸の一端に出逢ったりして尋ね廻ったが、思い通りの家が見つからなかった。結局葉子の良人の友人は葉子達をH屋の一棟へ案内した。H屋は京都を本店にし、東京を支店にし、そのまた支店で別荘のような料亭を鎌倉に建てたのであったが商売不振の為め今年は母屋を交ぜた三棟四棟を避暑客の貸間に当て、京都風の手軽料理で、若主人夫婦がその賄に当ろうと云うのであった。
 母屋に近い藤棚のついた二間打ち抜きの部屋と一番端れの神楽堂のような建て前の棟はもう借手がついていた。真中の極普通な割り合いに上品な一棟が、まだあいていたのを葉子達は借りることに極めた。どの棟の部屋もみな一側面は同じ芝生の広庭に面し、一側面は凡て廊下で連絡していた。
 決めて帰りがけに葉子達は神楽堂の方の借主をどんな人達かと聞いて見た。五六人取り交ぜたブルジョアの坊ちゃんで、若いサラリーマンや大学生達だとの事、それから藤棚の方はと聞いた時、
「麻川荘之介さん、あの文士の。」
 H屋の若主人は(好いお連れ様で)と云わんばかりにやや同業者の葉子達の方を見た。
「ほう。」
 葉子の良人は無心のように云ったが、葉子はいくらか胸にこたえてはっとした。
 麻川荘之介と云えば、その頃、葉子より年こそ二つ三つ上でしか無かったが、葉子にはかなり眩しい様な小説道の大家であった。葉子のはっとしたのは、葉子の稚純な小説崇拝性が、その時すでに麻川氏に直面したような即感をうけた為めでもあったろうが、ほかにいくらか内在している根拠もあった。
 葉子の良人戯画家坂本は、元来、政治家や一般社会性の戯画ばかり描いて居たが、その前年文学世界という…

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