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ダミア
ダミア
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆25 音」 作品社
1984(昭和59)年11月25日
入力者門田裕志
校正者林幸雄
公開 / 更新2002-12-12 / 2014-09-17
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 うめき出す、といふのがダミアの唄ひ方の本当の感じであらう。そして彼女はうめくべく唄の一句毎の前には必らず鼻と咽喉の間へ「フン」といつた自嘲風な力声を突上げる。
「フン」「セ・モン・ジゴロ…………」である。
 これに不思議な魅力がある。運命に叩き伏せられたその絶望を支へてじり/\下から逆に扱き上げて行くもはや斬つても斬れない情熱の力を感じさせる。その情熱の温度も少し疲れて人間の血と同温である。
 彼女の売出しごろには舞台の背景に巴里の場末の魔窟を使ひ相手役はジゴロ(パリの遊び女の情人)に扮した俳優を使ひ彼女自身も赤い肩巻に格子縞の Basque といふ私窩子型通りの服装をして彼女の唄の内容を芝居がゝりで補つたものだが、このごろは小唄専門のルウロップ館あたりへ出る場合にはその必要は無い。墨一色の夜会服に静まつても彼女の空気が作れるやうになつた。
 女は娘時代から年増の風格を備へてゐるものがある。ダミアはそれだ。しかもダミアは今は年齢からいつても大年増だ、牛のやうな大年増だ。頬骨の張つた顔。つり合ふがつしりした顎。鼻は目立たない。その鼻の位置を狙つて両側から皺み込む底の深い鼻唇線は彼女の顔の中央に髑髏の凄惨な感じを与へる。だが、眼はこれ等すべてを裏切る憂鬱な大きな眼だ。よく見るとごく軽微に眇になつてゐる。その瞳が動くとき娘の情痴のやうな可憐ななまめきがちらつく。瞳の上を覆ふ角膜はいつも涙をためたやうに光つてゐる。決して大年増の莫蓮を荷つて行ける逞しさもまた智恵も備へた眼ではない。所詮は矛盾の多い性格の持主で彼女はあるだらう。(矛盾は巴里それ自身の性格でもあるやうに)何か内へ腐り込まれた毒素があつて、たとひそれが肉体的のものにしろ精神的のものにしろそれに抗素する女のいのちのうめきが彼女の唄になるのであらう。彼女は正統な音楽の素養は無かつたはずだ。町辻でうめき、酒場でうめきしてゐるそのうめき声にひとりで節が乗つてとう/\人間のうめきの全幅の諧調を会得するやうになつたのだ。人間にあつてうめかずにゐられないところのものこそ彼女の生涯の唄の師である。
 彼女が唄ふところのものはジゴロ、マクロの小意気さである。私窩子のやるせない憂さ晴しである。あざれた恋の火傷の痕である。死と戯れの凄惨である。暗い場末の横町がそこに哀しくなすり出される。燐花のやうに無気味な青い瓦斯の洩れ灯が投げられる。凍る深夜の白い息吐きが――そしてたちまちはげしい自棄の嘆きが荒く飛んで聴衆はほとんど腸を露出するまでに彼女の唄の句切りに切りさいなまれると、其処に抉出される人々の心のうづきはうら寂びた巴里の裏街の割栗石の上へ引き廻され、恥かしめられ、おもちやにされる。だが「幸福」だといつて朱い唇でヒステリカルに笑ひもする。そして最後はあまくしなやかに唄ひ和めてくれるのだ。ダミアの唄は嬲殺しと按撫とを一つにした…

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