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星
ほし |
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作品ID | 1291 |
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著者 | 岡本 かの子 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「日本の名随筆 別巻16 星座」 作品社 1992(平成4)年6月25日 |
入力者 | 葵 |
校正者 | 土屋隆 |
公開 / 更新 | 2006-06-08 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 6 ページ(500字/頁で計算) |
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晴れた秋の夜は星の瞬きが、いつもより、ずつとヴイヴイツトである。殊に月の無い夜は星の光が一層燦然として美しい。それ等の星々をぢつと凝視してゐると、光の強い大きな星は段々とこちらに向つて動いて来るやうな気がして怖いやうだ。事実太洋を航海してゐるとき闇夜の海上の彼方から一点の光がこちらに向つて近づいて来る。何であらうと一心にそれを見守つてゐると、突然その光の下に黒々とした山のやうな巨船の姿を見出してびつくりしたことがある。星を見詰めてゐると何か判らない巨大なものがその星を乗せてこちらに迫つて来るやうな気がする時もある。さういふ錯覚は一種の恐怖に似て神秘的な楽しさでもある。
星の瞬きは太古から人間にいろ/\な暗示や空想を与へてゐる。星によつて人間の運勢を占ふといふことは、古来、東西共通に行はれたことで、たとへそれに、科学的根拠があるにしても、そも/\の初めは太古の人間が、星辰の運行にいろ/\の神秘的な意味を持たせ、それを人間の生活に結びつけて来たものである。星が常に何事かを下界に向けて信号し続けてゐるやうに明滅したり、時期によつて地球から見る人の眼にその位置を変へたり、鼓豆虫のやうにすい/\と天空を流れたり、時には孔雀の尾のやうに長い尾を引く慧星が現はれたりすることなどは、すべて動くものに生命を見出した太古の人にとつては、星もまた一つの生きものであつたと思はれたらしい。私達でも星をぢつと見詰めてゐると、星が生きもののやうな気がして来る。
ヱジプト、アラビヤ、印度、などの乾燥した土地では、天体を非常に近く感ずる。それは空中の湿度が低いため星辰の光が一層燦然と輝くからであるといふ。それだけに、それ等の土地の太古の住民は、天体の運行に興味を持ち、恰度漁師が風と雲によつて天候を予知するやうに、星辰を観測することによつて、何彼と生活上の便宜を得た。さういふわけで、占星術の如きも、ヱジプト、アラビア、印度等に、一番古く発達したのであつた。
私は、渡欧の船中、印度洋で眺めた南十字星の美しさは、いつまでも忘れ難い。コバルト色に深く澄み渡つた南の空に、大粒の宝玉のやうに燦々と光り輝く十字星は、天空一ぱいに散乱する群星を圧してゐた。スエズで一たん船を降りて、夜中自動車でヱジプトの首都カイロに向つた時、荒漠たるアラビヤ砂漠の中で眺めた星も亦美しかつた。印度洋上と云ひ、アラビヤ砂漠の中と云ひ、私は星を仰ぎ見る度に古代の人の心に立ち帰つて見るのであつた。今日のやうに、機械の発達しない太古の人達は印度洋やアラビヤ砂漠を往来するのに星を唯一の羅針とした。昔も今も変りなく燦然と輝くあの南十字星がそんな役割を勤めたかと思ふと、ただ単に美しいと鑑賞するだけでは済まないやうにさへ思ふ。
ヱヂプトでは、紀元前四千二百四十一年に既に暦が存在したといふ。そして当時の埃及人が一年を三百六十五日に分け…