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半七捕物帳
はんしちとりものちょう
作品ID1293
副題01 お文の魂
01 おふみのたましい
著者岡本 綺堂
文字遣い新字新仮名
底本 「時代推理小説 半七捕物帳(一)」 光文社文庫、光文社
1985(昭和60)年11月20日
入力者A.Morimine
校正者原田頌子
公開 / 更新2001-04-13 / 2014-09-17
長さの目安約 33 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 わたしの叔父は江戸の末期に生まれたので、その時代に最も多く行なわれた化け物屋敷の不入の間や、嫉み深い女の生霊や、執念深い男の死霊や、そうしたたぐいの陰惨な幽怪な伝説をたくさんに知っていた。しかも叔父は「武士たるものが妖怪などを信ずべきものでない」という武士的教育の感化から、一切これを否認しようと努めていたらしい。その気風は明治以後になっても失せなかった。わたし達が子供のときに何か取り留めのない化け物話などを始めると、叔父はいつでも苦い顔をして碌々相手にもなってくれなかった。
 その叔父がただ一度こんなことを云った。
「しかし世の中には解らないことがある。あのおふみの一件なぞは……」
 おふみの一件が何であるかは誰も知らなかった。叔父も自己の主張を裏切るような、この不可解の事実を発表するのが如何にも残念であったらしく、その以上には何も秘密を洩らさなかった。父に訊いても話してくれなかった。併しその事件の蔭にはKのおじさんが潜んでいるらしいことは、叔父の口ぶりに因ってほぼ想像されたので、わたしの稚い好奇心はとうとう私を促してKのおじさんのところへ奔らせた。わたしはその時まだ十二であった。Kのおじさんは、肉縁の叔父ではない。父が明治以前から交際しているので、わたしは稚い時からこの人をおじさんと呼び慣わしていたのである。
 わたしの質問に対して、Kのおじさんも満足な返答をあたえてくれなかった。
「まあ、そんなことはどうでもいい。つまらない化け物の話なんぞすると、お父さんや叔父さんに叱られる」
 ふだんから話し好きのおじさんも、この問題については堅く口を結んでいるので、わたしも押し返して詮索する手がかりが無かった。学校で毎日のように物理学や数学をどしどし詰め込まれるのに忙がしい私の頭からは、おふみという女の名も次第に煙りのように消えてしまった。それから二年ほど経って、なんでも十一月の末であったと記憶している。わたしが学校から帰る頃から寒い雨がそぼそぼと降り出して、日が暮れる頃には可なり強い降りになった。Kのおばさんは近所の人に誘われて、きょうは午前から新富座見物に出かけた筈である。
「わたしは留守番だから、あしたの晩は遊びにおいでよ」と前の日にKのおじさんが云った。わたしはその約束を守って、夕飯を済ますとすぐにKのおじさんをたずねた。Kの家はわたしの家から直径にして四町ほどしか距れていなかったが、場所は番町で、その頃には江戸時代の形見という武家屋敷の古い建物がまだ取払われずに残っていて、晴れた日にも何だか陰ったような薄暗い町の影を作っていた。雨のゆうぐれは殊にわびしかった。Kのおじさんも或る大名屋敷の門内に住んでいたが、おそらくその昔は家老とか用人とかいう身分の人の住居であったろう。ともかくも一軒建てになっていて、小さい庭には粗い竹垣が結いまわしてあった。
 K…

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