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十本の針
じっぽんのはり
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「或阿呆の一生・侏儒の言葉」 角川文庫、角川書店
1969(昭和44)年9月30日
初出「文藝春秋」1927(昭和2)年9月
入力者j.utiyama
校正者菅野朋子
公開 / 更新1999-05-15 / 2014-09-17
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

     一 ある人々

 わたしはこの世の中にある人々のあることを知っている。それらの人々は何ごとも直覚するとともに解剖してしまう。つまり一本の薔薇の花はそれらの人々には美しいとともにひっきょう植物学の教科書中の薔薇科の植物に見えるのである。現にその薔薇の花を折っている時でも。……
 ただ直覚する人々はそれらの人々よりも幸福である。真面目と呼ばれる美徳の一つはそれらの人々(直覚するとともに解剖する)には与えられない。それらの人々はそれらの人々の一生を恐ろしい遊戯のうちに用い尽くすのである。あらゆる幸福はそれらの人々には解剖するために滅少し、同時にまたあらゆる苦痛も解剖するために増加するであろう。「生まれざりしならば」という言葉は正にそれらの人々に当たっている。

     二 わたしたち

 わたしたちは必ずしもわたしたちではない。わたしたちの祖先はことごとくわたしたちのうちに息づいている。わたしたちのうちにいるわたしたちの祖先に従わなければ、わたしたちは不幸に陥らなければならぬ。「過去の業」という言葉はこういう不幸を比喩的に説明するために用いられたのであろう。「わたしたち自身を発見する」のはすなわちわたしたちのうちにいるわたしたちの祖先を発見することである。同時にまたわたしたちを支配する天上の神々を発見することである。

     三 鴉と孔雀と

 わたしたちに最も恐ろしい事実はわたしたちのついにわたしたちを超えられないということである。あらゆる楽天主義的な目隠しをとってしまえば、鴉はいつになっても孔雀になることはできない。ある詩人の書いた一行の詩はいつも彼の詩の全部である。

     四 空中の花束

 科学はあらゆるものを説明している。未来もまたあらゆるものを説明するであろう。しかしわたしたちの重んずるのはただ科学そのものであり、あるいは芸術そのものである。――すなわちわたしたちの精神的飛躍の空中に捉えた花束ばかりである。L'home est rien と言わないにもせよ、わたしたちは「人として」は格別大差のあるものではない。「人として」のボオドレエルはあらゆる精神病院に充ち満ちている。ただ「悪の華」や「小さい散文詩」は一度も彼らの手に成ったことはない。

     五 2+2=4

 2+2=4ということは真実である。しかし事実上+の間に無数の因子のあることを認めなければならぬ。すなわちあらゆる問題はこの+のうちに含まれている。

     六 天国

 もし天国を造り得るとすれば、それはただ地上にだけである。この天国はもちろん茨の中に薔薇の花の咲いた天国であろう。そこにはまた「あきらめ」と称する絶望に安んじた人々のほかには犬ばかりたくさん歩いている。もっとも犬になることも悪いことではない。

     七 懺悔

 わたしたちはあらゆる懺悔に…

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