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影を踏まれた女
かげをふまれたおんな
作品ID1308
副題近代異妖編
きんだいいようへん
著者岡本 綺堂
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本幻想文学集成23 岡本綺堂 猿の眼 種村季弘編」 国書刊行会
1993(平成5)年9月20日
初出「講談倶楽部」1925(大正14年)9月号
入力者林田清明
校正者ちはる
公開 / 更新2000-12-30 / 2016-09-26
長さの目安約 24 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

        一

 Y君は語る。

 先刻も十三夜のお話が出たが、わたしも十三夜に縁のある不思議な話を知つてゐる。それは影を踏まれたといふことである。
 影を踏むといふ子供遊びは今は流行らない。今どきの子供はそんな詰らない遊びをしないのである。月のよい夜ならばいつでも好さゝうなものであるが、これは秋の夜にかぎられてゐるやうであつた。秋の月があざやかに冴え渡つて、地に敷く夜露が白く光つてゐる宵々に、町の子供たちは往来に出て、こんな唄を歌ひはやしながら、地にうつる彼等の影を踏むのである。
 ――影や道陸神、十三夜のぼた餅――
 ある者は自分の影を踏まうとして駈けまはるが、大抵は他人の影を踏まうとして追ひまはすのである。相手は踏まれまいとして逃げまはりながら、隙をみて巧みに敵の影を踏まうとする。また横合から飛び出して行つて、どちらかの影を踏まうとするのもある。かうして三人五人、多いときには十人以上も入りみだれて、地に落つる各自の影を追ふのである。勿論、すべつて転ぶのもある。下駄や草履の鼻緒を踏み切るのもある。この遊びはいつの頃から始まつたのか知らないが、兎にかくに江戸時代を経て、明治の初年、わたし達の子どもの頃まで行はれて、日清戦争の頃にはもう廃つてしまつたらしい。
 子ども同士がたがひに影を踏み合つてゐるのは別に仔細もないが、それだけでは面白くないとみえて、往々にして通行人の影をふんで逃げることがある。迂闊に大人の影を踏むと叱られる虞れがあるので、大抵は通りがかりの娘や子供の影を踏んでわつと囃し立てゝ逃げる。まことに他愛のない悪戯ではあるが、たとひ影にしても、自分の姿の映つてゐるものを土足で踏みにじられると云ふのは余り愉快なものではない。それに就てこんな話が伝へられてゐる。
 嘉永元年九月十二日の宵である。芝の柴井町、近江屋といふ糸屋の娘おせきが神明前の親類をたづねて、五つ(午後八時)前に帰つて来た。あしたは十三夜で、今夜の月も明るかつた。ことしの秋の寒さは例年よりも身にしみて、風邪引きが多いといふので、おせきは仕立ておろしの綿入の両袖をかき合せながら、北に向つて足早に辿つてくると、宇田川町の大通りに五六人の男の児が駈けまはつて遊んでゐた。影や道陸神の唄の声もきこえた。
 そこを通りぬけて行きかゝると、その子供の群は一度にばら/\と駈けよつて来て、地に映つてゐるおせきの黒い影を踏まうとした。はつと思つて避けようとしたが、もう間にあはない。いたづらの子供たちは前後左右から追取りまいて来て、逃げまはる娘の影を思ふがまゝに踏んだ。かれらは十三夜のぼた餅を歌ひはやしながらどつと笑つて立去つた。
 相手が立去つても、おせきはまだ一生懸命に逃げた。かれは息を切つて、逃げて、逃げて、柴井町の自分の店さきまで駈けて来て、店の框へ腰をおろしながら横さまに俯伏してしまつた。店に…

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