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修禅寺物語
しゅぜんじものがたり
作品ID1312
著者岡本 綺堂
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の文学 77 名作集(一)」 中央公論社
1970(昭和45)年7月5日
初出「文芸倶楽部」1911(明治44)年1月
入力者土屋隆
校正者小林繁雄
公開 / 更新2006-05-30 / 2014-09-18
長さの目安約 27 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

(伊豆の修禅寺に頼家の面というあり。作人も知れず。由来もしれず。木彫の仮面にて、年を経たるまま面目分明ならねど、いわゆる古色蒼然たるもの、観来たって一種の詩趣をおぼゆ。当時を追懐してこの稿成る。)


 登場人物
面作師   夜叉王
夜叉王の娘 かつら
同     かえで
かえでの婿 春彦
源左金吾頼家
下田五郎景安
金窪兵衛尉行親
修禅寺の僧
行親の家来など

     第一場

伊豆の国狩野の庄、修禅寺村(今の修善寺)桂川のほとり、夜叉王の住家。
藁葺きの古びたる二重家体。破れたる壁に舞楽の面などをかけ、正面に紺暖簾の出入口あり。下手に炉を切りて、素焼の土瓶などかけたり。庭の入口は竹にて編みたる門、外には柳の大樹。そのうしろは畑を隔てて、塔の峰つづきの山または丘などみゆ。元久元年七月十八日。

(二重の上手につづける一間の家体は細工場にて、三方に古りたる蒲簾をおろせり。庭さきには秋草の花咲きたる垣に沿うて荒むしろを敷き、姉娘桂、二十歳。妹娘楓、十八歳。相対して紙砧を擣っている。)

かつら (やがて砧の手をやめる)一[#挿絵]あまりも擣ちつづけたので、肩も腕も痺るるような。もうよいほどにして止みょうでないか。
かえで とは言うものの、きのうまでは盆休みであったほどに、きょうからは精出して働こうではござんせぬか。
かつら 働きたくばお前ひとりで働くがよい。父様にも春彦どのにも褒められようぞ。わたしはいやじゃ、いやになった。(投げ出すように砧を捨つ)
かえで 貧の手業に姉妹が、年ごろ擣ちなれた紙砧を、とかくに飽きた、いやになったと、むかしに変るお前がこのごろの素振りは、どうしたことでござるかのう。
かつら (あざ笑う)いや、昔とは変らぬ。ちっとも変らぬ。わたしは昔からこのようなことを好きではなかった。父さまが鎌倉においでなされたら、わたしらもこうはあるまいものを、名聞を好まれぬ職人気質とて、この伊豆の山家に隠れ栖、親につれて子供までも鄙にそだち、しょうことなしに今の身の上じゃ。さりとてこのままに朽ち果てようとは夢にも思わぬ。近いためしは今わたしらが擣っている修禅寺紙、はじめは賤しい人の手につくられても、色好紙とよばれて世に出づれば、高貴のお方の手にも触るる。女子とてもその通りじゃ。たとい賤しゅう育っても、色好紙の色よくば、関白大臣将軍家のおそばへも、召し出されぬとは限るまいに、賤の女がなりわいの紙砧、いつまで擣ちおぼえたとて何となろうぞ。いやになったと言うたが無理か。
かえで それはおまえが口癖に言うことじゃが、人には人それぞれの分があるもの。将軍家のお側近う召さるるなどと、夢のようなことをたのみにして、心ばかり高う打ちあがり、末はなんとなろうやら、わたしは案じられてなりませぬ。
かつら お前とわたしとは心が違う。妹のおまえは今年十八で、春彦という男を持った…

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