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『新新訳源氏物語』あとがき
『しんしんやくげんじものがたり』あとがき
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「源氏物語下巻 日本文学全集2」 河出書房新社
1965(昭和40)年7月3日
入力者めいこ
校正者もりみつじゅんじ
公開 / 更新2005-03-18 / 2014-09-18
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 燦然と千古に光る東洋文学の巨篇源氏物語の価値は今さら説く必要もない。
 私は今を去る二十八年の昔、金尾文淵堂主の依頼によって、源氏物語を略述した。新訳源氏物語がそれである。森林太郎、上田敏二博士の序文と、中沢弘光画伯の絵が添っていた。その三先生に対して粗雑な解と訳文をした罪を爾来二十幾年の間私は恥じつづけて来た。いつかは三先輩に対する謝意に代えて完全なものに書き変えたいと願っていたのであるが実現は困難であった。今から七年前の秋、どんなにもして時を作り、源氏を改訳する責めを果そうと急に思い立つ期が来た。そしてすぐに書きはじめ書きつづけ、少い余命の終らぬ間を急いだ。ところが昭和十年の春に私は良人を失った。一家を負ってなさねばならぬ用のふえたことは申すまでもない。また一方くずおれた心は歌を作る以外に力の出しようもないように思われた。その時までにできていたのは良人がすでに病床についていた頃にも書いた橋姫の巻までであった。若菜以後は清書もできていなかった。私は壁際に山積した新新訳の原稿を眺めるだけで二年をいたずらに過した。以前に大阪へ店を移された文淵堂主と京都で会したのはその頃であった。氏は初期の私の歌集以来引きつづいて私を庇護してくれた人である。東京でまた店を開きたいという話を聞いて、私のできている新新訳『源氏物語』の話をし、そんなことが機縁になって東京で氏の再起がかなえばよいと相談した。氏は喜んでくれた。そのために氏の信仰の深い観音へ礼参りさえもされた。二十八年の昔に拙いものを書いて渡した私の成長を疑わなかったのである。いよいよ本が出るようになって私は滅罪の方法の許された神仏に合掌した。
 私は源氏物語を前後二人の作者の手になったものと認めているが、その研究をここでこまかに述べることはできない。古来から宇治十帖は紫式部の女の大弐の三位の手になったといわれていた。徳川期の国学者は多くそれを否定した。私も昔はそうかと思わせられた。明治に久米邦武博士が或る謡曲雑誌に、源氏は数人の手になったものらしいと書かれた時に、久米氏は第一流の史学者であるが文学者ではないからと思い、私はそれを信じようとしなかった。新新訳にかかる数年前から私は源氏の作者が二人であることを知るようになった。前の作者の筆は藤のうら葉で終り、すべてがめでたくなり、源氏が太上天皇に上った後のことは金色で塗りつぶしたのであったが、大胆な後の作者は衰運に向った源氏を書き出した。最愛の夫人紫の上の死もそれである。女三の宮の物の紛れもそれである。後の主人公薫大将の出生のために朱雀院の御在院中の後宮のことが突然語り出され、帝の女三の宮内親王への御溺愛によって、薫の宮を用意した小説の構成の巧みさは前者に越えている。
 よく原文を読めば文章の組立てが若菜から違っているのに心づくはずである。必ず「上達部、殿上人」であったも…

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