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春永話
はるながばなし
作品ID13208
著者折口 信夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆 別巻10 芝居」 作品社
1991(平成3)年12月25日
入力者門田裕志
校正者多羅尾伴内
公開 / 更新2004-01-20 / 2014-09-18
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

むら/\と見えて たなびく顔見世の幟のほどを 過ぎて来にけり
昭和十年三月、私の作る所である。歌は誇るに値せぬが、之に関聯して私ひとり思ひ出の禁じ難いものがある。京の顔見世は、近年十二月行ふことになつてゐる。十一月末にさし迫つて初める為、十二月興行と謂つた形をとることになつてしまつた。此は全く、明治中頃からの新しい為来りに過ぎない。明治の末、大正の初年頃、京の顔見世と言へば、大阪からも見に行く風がはやり出した。ある年の顔見世に、口上の幕がついて鴈治郎が正座にすわつた。……「京の御見物様。毎度よんで頂きましてあり難い為合せに存じます。では御座りますが、ならうことなら、顔見世たつた一度でなく、ほかの時にもよんで頂けますやうお願ひ申し上げます。」まあかう言ふ言ひまはしであつた。そんな事にかけてはちつとも神経を動かさぬ京の見物はおもしろさうに「えへら、えへら」笑うてゐた。京のつましい生活を衝いてゐる、極めて無遠慮な、後味のわるい口上だが、言ふ役者も役者なら、聴いてゐて、「うまいことぬかしよる」と、何でもない顔をしてゐる見物も与し易い群衆であつた。外へ出ると暗い河原に鳴く千鳥、堰塞を溢れる水の音、其さへ、記憶といふ程には残つてゐない。其後東京へ移つて、稍久しくなつた頃、――南座の三浦介の舞台でたふれた。――さう東京へは聞えて来た――役者の上を特に想望しての歌としては、動機が、大分薄いやうな気がする。芝居へ連れて行かれて、自分も迷惑せず、人をも困らさなくなつた頃はもう鴈治郎・我当――後、仁左衛門――対立して人気を争うてゐる時期であつた。どうして覚えてゐるのか知らんが、角か弁天座の竪看板に、我当の兄我童の、仁左衛門襲名の披露狂言大和橋の絵組みがあつて、此に向つて、片手をひろげ片手を地面について、驚いた恰好の馬方の袖に右団治――後、斎入――の紋の松かは菱に蔦の葉がついてゐた。此右団治が役変替を言ひ出したことから、我童狂死、我童びいきの東京の車屋が下阪して、右団治をつけねらつて居ると言つた様な噂まで耳に残つて居る。どこまでが記憶で、何処からが知識のつけ足しやら、今日になつては、甚心もとない。其より少し前、鴈治郎弄花事件と言ふやうな警察事故が起つて、縫物屋通ひの娘たちを驚倒させた。角の芝居と朝日座との間に後、石川呉服店となつた同じ家で、役者の写真を売つて居た。蔀戸をあげ、障子囲ひにした店床を卸した落ちついた家で、手札型の台紙にはつた舞台姿や、豆写真を張りつけた糸巻などが、そこの商品であつた。町々の縫物子が、其を買うては、護り魂のやうに秘めて居たものである。さう言ふ鴈治郎びいきの娘たちが、どんなにかたみ狭く案じ暮したことだらうと思ふと、昔のあほらしい程ののどかさに笑ひがこみあげて来る。
誰の芝居よりも、右団治一座の狂言によくなじんで居た。此人は、鴈治郎と一座する事が尠く、我当を書…

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