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神道の新しい方向
しんとうのあたらしいほうこう
作品ID13211
著者折口 信夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆 別巻98 昭和2」 作品社
1999(平成11)年4月25日
入力者門田裕志
校正者多羅尾伴内
公開 / 更新2004-01-08 / 2014-09-18
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

昭和二十年の夏のことでした。
まさか、終戦のみじめな事実が、日々刻々に近寄つてゐようとは考へもつきませんでしたが、その或日、ふつと或啓示が胸に浮んで来るやうな気持ちがして、愕然と致しました。それは、あめりかの青年たちがひよつとすると、あのえるされむを回復するためにあれだけの努力を費した、十字軍における彼らの祖先の情熱をもつて、この戦争に努力してゐるのではなからうか、もしさうだつたら、われ/\は、この戦争に勝ち目があるだらうかといふ、静かな反省が起つて来ました。
けれども、静かだとはいふものゝ、われ/\の情熱は、まさにその時烈しく沸つてをりました。しかしわれ/\は、どうしても不安で/\なりませんでした。それは、日本の国に、果してそれだけの宗教的な情熱を持つた若者がゐるだらうかといふ考へでした。
日本の若者たちは、道徳的に優れてゐる生活をしてゐるかも知れないけれども、宗教的の情熱においては、遥かに劣つた生活をしてをりました。それは歯に衣を着せず、自分を庇はなければ、まさにさう言へることです。われ/\の国は、社会的の礼譲などゝいふことは、何よりも欠けてをりました。
それが幾層倍かに拡張せられて現れた、この終戦以後のことで御覧になりましても訣りますやうに、世の中に、礼儀が失はれてゐるとか、礼が欠けてゐるところから起る不規律だとかいふやうなことが、われ/\の身に迫つて来て、われ/\を苦痛にしてゐるのですが、それがみんな宗教的情熱を欠いてゐるところから出てゐる。宗教的な、秩序ある生活をしてゐないから来るのだといふ心持ちがします。心持ちだけではありません。事実それが原因で、かういふ礼譲のない生活を続けてゐる訣です。これはどうしても宗教でなければ、救へません。仏教徒であつたわれ/\の家では、時を定めて寺へ詣る――さういふ生活を繰り返してをりますけれども、もうそれにはすつかり情熱がなくなつてをります。それからその慣例について、謙譲な内容がなくなつてをります。
ところが、たゞ一ついゝことは、われ/\に非常に幸福な救ひの時が来た、といふことです。われ/\にとつては、今の状態は決して幸福な状態だとは言へませんが、その中の万分の一の幸福を求めれば、かういふところから立ち直つてこそ、本当の宗教的な礼譲のある生活に入ることが出来る。義人のゐる、よい社会生活をすることが出来るといふことです。
しかし時々ふつと考へますのに、日本は一体宗教的の生活をする土台を持つてをるか、日本人自身は宗教的な情熱を持つてゐるか、果して日本的な宗教をこれから築いてゆくだけの事情が現れて来るか、といふことです。
事実、仏教徒の行動などを見ますと、実際宗教的な慣例に従つて宗教的な行動をして、宗教的な情熱を持つて来たやうにも見えますけれども、それは多くやはり、慣例に過ぎなかつたり、または啓蒙的な哲学を好む人たちが、享…

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