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随筆「断片」
ずいひつ「だんぺん」
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆 別巻96 大正」 作品社
1999(平成11)年2月25日
入力者加藤恭子
校正者篠原陽子
公開 / 更新2005-03-08 / 2014-09-18
長さの目安約 24 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

     一

 京都帝大の経済学部教授をしてゐた頃、大正九年九月の新学期から、私は経済学部の部長に補せられた。この地位には大概の教授がなりたがるのだが、私にとつて之は頗る迷惑であつた。と云ふのは、私はすでにその前年の一月に個人雑誌『社会問題研究』を創刊し、大概毎月一冊づつ之を刊行して居たから、いつも講義の準備に追はれてゐる私は、殆ど手一杯の仕事をして居るので、この上学校行政の俗務に携はりたくはなかつた。ただ学部の内規として、教授は就職順に一ヶ月づつ部長を勤めることになつて居たので、私一人がそれを断る訳にも行かなかつた。
 ところが都合の好いことには、一月もたたないうちに私は病気に罹かつた。感冒で寝込んだ後、微熱が去らないので、当時医学部の内科教授をして居られた島薗博士に診察して貰ふと、病気はたいしたこともないが、なんにしても痩せてゐて、よくないからだだから、転地して少し休養されるが可からう、私が診断書を書いて上げるから、とのことであつた。私はこのもつけの幸を歓び迎へ、すぐに部長の職を辞して紀州の田辺町といふ南海の浜辺にある小都会へ、転地療養に出掛けることにした。紀州人であつた島薗博士が予めそこの女学校長に依頼の手紙を出してくれられた。で私は、着くと直ぐに、船まで出迎へてくれられた其の校長さんの世話で、小さな宿屋の一室に身を落ち付けることが出来た。大きな松林が砂地の上に並んでゐる海浜に近い所であつたが、宿は安宿で、私に当てがはれた陰気な部屋には、床に粗末な軸物が懸かつてゐた。丁度真南に当つた所の松林の中には立派な旅館が見えて居たが、律義な校長さんは、長く滞留する筈になつてゐる私のために、費用の点を顧慮されたのであらう、その立派な方の旅館は避けて、貧弱な安宿の方に私の部屋を取つて置いてくれられた。一日分の宿泊料も相当格安に予約されてゐた。すこし安過ぎると思つたが、果して出してくる茶器にしても、食器にしても、夜具にしても、平生家に居て簡素な生活に甘んじてゐる私ですら、少し粗末過ぎると思ふほどであつた。器具類はともかく、食事の粗末なのは、折角転地療養に来てゐてその甲斐がないと思つたから、私は間もなく宿泊料の値上げをして見たが、それもさした効果はなく、青魚の腐敗したのを食べさせられ、全身に発疹したやうなこともあつた。しかし私は、元来どんな境遇にでも満足し得る人間だから、暖い日には海岸を散歩したり、半里ばかり奥にある田辺の町を訪ねて、菓子を買うて来たり(甘党の私は田舎へ行くと、うまい菓子が食べられぬので、いつも弱つた。田辺町の本通りまで買ひに出て見ても、田舎町のこととて気の利いた菓子は得られなかつた。)絵具を持つて写生に出掛けたり、(私は長男の使つてゐた絵具と二三枚の板を持つて来て居た。庭には柑橘類が黄いろく実り、軒下には大根の干してある百姓家を写生したのが一枚、鉢に…

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