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大阪夏之陣
おおさかなつのじん
作品ID1366
著者菊池 寛
文字遣い新字新仮名
底本 「日本合戦譚」 文春文庫、文芸春秋
1987(昭和62)年2月10日
入力者大野晋、Juki、網迫
校正者土屋隆
公開 / 更新2009-12-22 / 2014-09-21
長さの目安約 16 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

       夏之陣起因

 今年の四月初旬、僕は大阪に二三日いたが、最近昔の通りに出来たと云う大阪城の天守閣に上って見た。
 天守閣は、外部から見ると五層であるが、内部は七重か八重になっている。五階までエレヴェーターで行き、後は階段を昇るのであるが、自分は心臓が弱いため、高所にあると云う感じ丈で胸苦しくなり、最高層の窓からわずかに、足下に煤烟の下に横たわる大阪市を瞥見したに過ぎぬが、その視野の宏大なるは、さすがに太閣の築きたるに耻じないと思った。
 大阪城の天守五重説は、徳川時代の天守が五重であったから起った説で、小早川隆景と吉川元長が、秀吉の案内で天守に上った時の感想には、「大天守は八重にて候、不レ及二言語一候」とある。だが、実見者の大阪落城絵図では、外見五重になっているから、外見五重で内部は八重になっていたのであろう。
 城は、摂津の国東成郡に属し、東に大和、西に摂津、南に和泉、北に山城を控えて、畿甸の中央にあり、大和川の長流東より来り、淀の大江亦北より来って相合して、天満川の会流となりて、城北を廻りて、西南は瀬戸内海に臨んで、まことに天下の形勝である。
 石山本願寺時代、信長の雄略を以てしても本願寺門徒を攻め倒すことが出来ず、十一箇年の星霜を費して、やっと媾和している。
 しかし、秀吉がその愛児秀頼に、この難攻不落の名城を遺したことは、却って亡滅の因を遺したようなものである。有史以前の生物であるマンモスとかライノソーラスとかいろいろ難しい名の巨獣類は、みんな武器たる爪や甲羅のために、亡んでいる。それは爪や甲羅が大きくなりすぎて、運動が敏活を欠くためである。
 秀頼も、秀頼を取り巻く連中も、天下の権勢が徳川に帰した後も、大阪城に拠れば、何うにかなるだろうと思ったろうし、家康も本多正信も秀頼は恐くはないが、大阪城にいる以上、どうにか始末をつけねばと思ったろうし、結局大阪城は秀頼亡滅の因を成したと云ってよかろう。
 家康にしたところが、絶対に秀頼を亡そうと思っていたかどうかは疑問である。絶対に亡そうと思っていたら関ヶ原以後、十四年、自分が七十三になるまで時期を待ってはいなかっただろうと思う。それまで、豊臣恩顧の大名の死ぬのを待っていたなど云うが、しかし家康だって神様じゃないし、自分が七十三迄生き延びる事に確信はなかっただろうと思う。
 もし、豊家に人が在って、自発的に和州郡山へでも移り、ひたすら豊家の社稷を保つことに腐心したら、今でも豊臣伯爵など云うものが残っていて、少し話が分った人だったら、大阪市の市長位には担ぎ上げられたかも知れない。
 しかし、秀頼の周囲は、仲々強気で、秀頼が成長したら、政権が秀頼に帰って来るように夢想していたのであるから、結局亡びる外仕方がなかったのだろう。
 大阪冬の陣の原因である鐘銘問題など、甚だしく無理難題である。家康が、余命…

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