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美術上の婦人
びじゅつじょうのふじん
作品ID1389
著者岸田 劉生
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆23 画」 作品社
1984(昭和59)年9月25日
入力者加藤恭子
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2005-05-17 / 2014-09-18
長さの目安約 16 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 婦人は美くしいものである。
 だから婦人は画家にとつて何時の時代でもよき画材とされてゐる。古来からの名画の中には婦人を描いたものは甚だ多い、もし古今東西の美術の中から「婦人」を除いたら実に寂寥たるものであらう。実に「女ならでは夜の明けぬ」は只にこの世のみの事ではない。美術の王国は美のみの国だけに一層に婦人を尊しとするのである。
 一体、美術、殊に絵画の極は何と云つても人物画につきると云つても過言ではない程、美術にとつて、人物を描くといふ事は面白い又むつかしい事なのである。古来から美術作品の中その美的内容の最も深いところのものはどうも多く人物画に止めを刺す。
 これは何故か、人物画といふものは、人が人を描くのであるだけに、美術に於ける「形」以上の世界が広く、又深い。一体人間の顔程、画家にとつていろ/\な美術的感興を興させるものは他にない。人の顔は実に複雑である。そして深い多くの画因を秘めかくして持つてゐる。画家は人の顔をみて今更に驚く。人の顔は画家の心の中から画家自身すら気づかずにゐたいろ/\の美的要素を引き出し、生かしてくれる。その一つのしわにも、鼻の不思議な線にも、絶えず変る唇の不思議な線と色の惑はしにも、或は、皮膚の不思議な色つやにもいと小さき毛穴にも、又は、小さきほくろやそこから生えた細いうぶ毛にも、更に又、その眼の力、生きものゝ心の窓である眼の生きた力、まぶたの線、其他様々な、複雑さを以て、人の顔は、画家の前に画家の内なる美を誘ひ出す力を持つてゐる。
 彼のオランダの古大家、ヤン・フアン・エツクの描いた様々な男女の肖像画を見るならばこれ等の事はよく分る筈である。
 兎も角も、人物画といふものは、描く人にとつても、またその画を観る人にとつても、ともに最も深い芸術的感興の対象であり得るといふ事は大体に於て云ひ得る。勿論、偉れた花鳥画は、平凡な人物画よりいいと云ふ事は論をまたないが、只画的対象としてみる時、「人物」はたしかに他のものより画的興味を引き起す素因が多く又深いといふ事は云ひ得るのである。
 人物画には只に、眼に見える形の美以外に、「生けるもの」としての感じがある。否「生ける人」としての感じがある。「人」を描く、この事は又、「心」を描くといふ事である。
 昔からよく、「人物」や、「生きもの」を描く時は、眼は最後にこれを描くといふ事を云ふ。仏像などでも眼は最後に入れたもので、「開眼」といふ言はこれからはじまつた由聞き及んでゐる。が、とも角この事は決して無稽な事ではない。生きものや人物画を描くに当つて眼は実に大切である。眼は心の窓といふ事があるが、画家に於ても、その事は本当である。眼でその画の活殺が極ると云つて過言でない程、この眼といふものは大切である。
 人物画(及び動物画)にあつては眼を立派に描き得るといふ事は、とりもなほさず「形」以上のものを描…

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