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玄海灘密航
げんかいなだみっこう
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「光の中に 金史良作品集」 講談社文芸文庫、講談社
1999(平成11)年4月10日
初出「文芸首都」1940(昭和15)年8月号
入力者大野晋
校正者大野裕
公開 / 更新2001-01-01 / 2014-09-17
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 荒潮の渦巻く玄海灘を中心にして、南朝鮮、済州、対馬、北九州等の間には、昔から伝説にもあるように住民の漂流がしばしばあったと云われている。或は最初の文化的な交流というものは、概してこういう漂流民を通じてなされたのであろう。――だが面白いことには文明の今日においてさえ、漂流という形を借りたものが又想像以上にあるのである。それが密航である。
 けれど密航と云っても、そうロマンチックなものではなく、それを思いたつまでには余程の勇気と度胸が要ることだろうと思う。玄海灘を挟んでの密航と云えば、旅行券のない朝鮮の百姓達が絶望的になって、お伽話のように景気のいいところと信じている内地へ渡ろうと、危かしい木船や蒸気船にも構わず乗り込むことを云うのだから、度胸云々どころではなく、全く命がけ以上の或は虚脱と云ったところであろう。何れにしても、この密航に関して私にははかない思い出が一つある。この間も朝鮮人の密航船が玄海灘で難破して、一行二三十名が藻屑となったという報道を読んで、転た感深いものがあった。
 その実私も釜山から一度密航を試みようとしたことがある。それは十八の時の十二月のことであるが、或る事情で堂々と連絡船には乗り込めないので、毎日のように埠頭に出て寒い海風に吹かれながら、どうしたらばこの海を渡って行けるだろうかとばかり思い焦っていた。何しろ若い年先であり、それに丁度中学からも追い出されたばかりなので、ゆっくりと形勢を見るとか智慧をめぐらすとかいうようなことは出来なかった。玄海灘の彼方というのは、私にはその幾日間かは全く天国のようにさえ思われていたのであろうか。
 或る日も私は埠頭で、帆船や小汽船が波頭ににょきにょきと揺れている様を見ながら、じっと立っていた。それはみぞれの降る日だった。その時黒い縁の眼鏡をかけた内地人の男が、通りがかりに独言のように、海を渡りたければ明朝三時に××山の麓に来たらいいと云うのである。私は驚いて振り返って見た。だが男は吹き荒ぶみぞれの中に、どこかへ消え失せてしまった。さすがに私はその晩いろいろと苦しみ悶えたものである。丁度二三日前から、宿屋のボーイにも三十円程出せば密航させるからとしきりに誘われていた訳なので、よっぽど思い切ってやってみようかと考えた。だが何故となくおっかなかった。隣りの部屋に一人の客がやって来たが、言葉がどうも郷里の北朝鮮系である。私はその夜中に客の寝ている部屋へはいって行った。そして密航に対して意見を求めた。すると客はしげしげと私の顔を眺めてから、
「よしなせえ」と一言のもとに反対した。今も思い出すことが出来るが、彼は小さな口の上に黒い鼻髭のある三十男で、目をしょっちゅうしばたたいていた。その目をしばたたきながら、彼は一晩中密航に関していろいろな話をしてくれた。彼も内地へ行っていたが、渡る時はやはり旅行券がなくて密航をし…

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