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天主閣の音
てんしゅかくのおと
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「妖異全集」 桃源社
1975(昭和50)年9月25日
入力者地田尚
校正者小林繁雄
公開 / 更新2002-02-18 / 2014-09-17
長さの目安約 81 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 元文年間の物語。――
 夜な夜な名古屋城の天主閣で、気味の悪い不思議な唸り声がした。
 天主閣に就いて語ることにしよう。
「尾張名古屋は城で持つ」と、俚謡にまでも唄われている、その名古屋の大城は、慶長十四年十一月から、同十六年十二月迄、約二ケ年の短日月で、造り上げた所の城であるが、豊公恩顧の二十余大名六百三十九万石に課し、金に糸目をつけさせずに、築城させたものであって、規模の宏壮要害の完備は、千代田城に次いで名高かった。
 金鯱で有名な天主閣は、加藤清正が自分が請うて、独力で経営したものであって、八方正面を眼目とし、遠くは敵の状況を知り、近くは自軍の利便を摂する、完全無欠の建築であった。石積の高さ六間五尺、但し堀底からは十間五寸、その初重は七尺間で、南北桁行は十七間余、東西梁行は十五間三尺、さて土台の下端から五重の棟の上端までを計ると、十七間四尺七寸五分だが、是が東側となると、更に一層間数を増し、地上から棟の上端まで、二十四間七尺五分あった。
 金鯱は棟の両端にあった。南鯱は雌でその高さ八尺三寸五分と註され、北鯱は雄で、稍大きく、高さ八尺五寸あった。木と鉛と銅と黄金と、四重張りの怪物で、製作に要した大判の額、一千九百四十枚、こいつを小判に直す時は、一万七千九百余両、ところで此金を現価に直すと、さあ一体どの位になろう? 鳥渡見当もつきかねる。名に負う慶長小判である。普通の小判とは質が異う。とまれ素晴らしい金額となろう。
 その天主閣で奇怪な音が、夜な夜な聞えるというのであった。
 だが毎晩聞えるのでは無く、月も星も無い嵐の晩に、愁々として聞えるのであった。
「金鯱が泣くのではあるまいかな?」などと天主番の武士達は、気味悪そうに囁いた。
「いずれ可く無い前兆だろうよ。……どうも些藩政が弛み過ぎたからな」
 時の藩主は宗春で、先主継友の末弟であり、奥州梁川から宗家に入り、七代の主人となったものであった。末弟の宗春が宗家を継いだのには、鳥渡面白い事件がある。
 享保元年のことであったが、七代の将軍家継が僅八歳で薨去した。そこで起こったのが継嗣問題で紀州吉宗を立てようとするものと、尾州継友を迎え[#「迎え」は底本では「迎へ」]ようとするものと、柳営の議論は二派に別れた。そうして最初は尾州側の方が紀州党よりも優勢であった。
 で継友も[#「 で継友も」は底本では「で継友も」]其家臣も大いに心を強くしていたが俄然形勢が変わり、紀州吉宗が乗り込むことになった。
 尾州派の落胆は云う迄も無い。「だが一体どういう理由から、こう形勢が逆転したのだろう?」
 研究せざる[#「研究せざる」は底本では「研究せぎる」]を得なかった。その結果或る事が発見された。家臣の中に内通者があって、それが家中の内情を、紀州家へ一々報告し、それを利用して紀州家では、巧妙な運動を行ったため、成功し…

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