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湯ヶ原より
ゆがわらより
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「定本 国木田独歩全集 第二巻」 学習研究社
1964(昭和39)年7月1日、1978(昭和53)年3月1日増訂版
入力者鈴木厚司
校正者mayu
公開 / 更新2001-11-07 / 2014-09-17
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 内山君足下
 何故そう急に飛び出したかとの君の質問は御尤である。僕は不幸にして之を君に白状してしまはなければならぬことに立到つた。然し或はこれが僕の幸であるかも知れない、たゞ僕の今の心は確かに不幸と感じて居るのである、これを幸であつたと知ることは今後のことであらう。しかし將來これを幸であつたと知る時と雖も、たしかに不幸であると感ずるに違いない。僕は知らないで宜い、唯だ感じたくないものだ。
『こゝに一人の少女あり。』小説は何時でもこんな風に初まるもので、批評家は戀の小説にも飽き/\したとの御注文、然し年若いお互の身に取つては、事の實際が矢張りこんな風に初るのだから致し方がない。僕は批評家の御注文に應ずべく神樣が僕及び人類を造つて呉れなかつたことを感謝する。
 去十三日の夜、僕は獨り机に倚掛つてぼんやり考へて居た。十時を過ぎ家の者は寢てしまひ、外は雨がしと/\降つて居る。親も兄弟もない僕の身には、こんな晩は頗る感心しないので、おまけに下宿住、所謂る半夜燈前十年事、一時和雨到心頭といふ一件だから堪忍たものでない、まづ僕は泣きだしさうな顏をして凝然と洋燈の傘を見つめて居たと想像し給へ。
 此時フと思ひ出したのはお絹のことである、お絹、お絹、君は未だ此名にはお知己でないだらう。君ばかりでない、僕の朋友の中、何人も未だ此名が如何に僕の心に深い、優しい、穩かな響を傳へるかの消息を知らないのである。『こゝに一人の少女あり、其名を絹といふ』と僕は小説批評家への面當に今一度特筆大書する。
 僕は此少女を思ひ出すと共に『戀しい』、『見たい』、『逢ひたい』の情がむら/\とこみ上げて來た。君が何と言はうとも實際さうであつたから仕方がない。此天地間、僕を愛し、又僕が愛する者は唯だ此少女ばかりといふ風な感情が爲て來た。あゝ是れ『浮きたる心』だらうか、何故に自然を愛する心は清く高くして、少女(人間)を戀ふる心は『浮きたる心』、『いやらしい心』、『不健全なる心』だらうか、僕は一念こゝに及べば世の倫理學者、健全先生、批評家、なんといふ動物を地球外に放逐したくなる、西印度の猛烈なる火山よ、何故に爾の熱火を此種の動物の頭上には注がざりしぞ!
 僕はお絹が梨をむいて、僕が獨で入いつてる浴室に、そつと持て來て呉れたことを思ひ、二人で溪流に沿ふて散歩したことを思ひ、其優しい言葉を思ひ、其無邪氣な態度を思ひ、其笑顏を思ひ、思はず机を打つて、『明日の朝に行く!』と叫けんだ。
 お絹とは何人ぞ、君驚く勿れ、藝者でも女郎でもない、海老茶式部でも島田の令孃でもない、美人でもない、醜婦でもない、たゞの女である、湯原の温泉宿中西屋の女中である! 今僕の斯う筆を執つて居る家の女中である! 田舍の百姓の娘である! 小田原は大都會と心得て居る田舍娘! この娘を僕が知つたのは昨年の夏、君も御存知の如く病後、赤十字社の醫者に…

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