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蘆声
ろせい
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「幻談・観画談 他三篇」 岩波文庫、岩波書店
1990(平成2)年11月16日
入力者土屋隆
校正者オーシャンズ3
公開 / 更新2007-12-18 / 2014-09-21
長さの目安約 21 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 今を距ること三十余年も前の事であった。
 今において回顧すれば、その頃の自分は十二分の幸福というほどではなくとも、少くも安康の生活に浸って、朝夕を心にかかる雲もなくすがすがしく送っていたのであった。
 心身共に生気に充ちていたのであったから、毎日[#挿絵][#挿絵]の朝を、まだ薄靄が村の田の面や畔の樹の梢を籠めているほどの夙さに起出て、そして九時か九時半かという頃までには、もう一家の生活を支えるための仕事は終えてしまって、それから後はおちついた寛やかな気分で、読書や研究に従事し、あるいは訪客に接して談論したり、午後の倦んだ時分には、そこらを散策したりしたものであった。
 川添いの地にいたので、何時となく釣魚の趣味を合点した。何時でも覚えたてというものは、それに心の惹かれることの強いものである。丁度その頃一竿を手にして長流に対する味を覚えてから一年かそこらであったので、毎日のように中川べりへ出かけた。中川沿岸も今でこそ各種の工場の煙突や建物なども見え、人の往来も繁く人家も多くなっているが、その時分は隅田川沿いの寺島や隅田の村[#挿絵]でさえさほどに賑やかではなくて、長閑な別荘地的の光景を存していたのだから、まして中川沿い、しかも平井橋から上の、奥戸、立石なんどというあたりは、まことに閑寂なもので、水ただ緩やかに流れ、雲ただ静かに屯しているのみで、黄茅白蘆の洲渚、時に水禽の影を看るに過ぎぬというようなことであった。釣も釣でおもしろいが、自分はその平野の中の緩い流れの附近の、平凡といえば平凡だが、何ら特異のことのない和易安閑たる景色を好もしく感じて、そうして自然に抱かれて幾時間を過すのを、東京のがやがやした綺羅びやかな境界に神経を消耗させながら享受する歓楽などよりも遥に嬉しいことと思っていた。そしてまた実際において、そういう中川べりに遊行したり寝転んだりして魚を釣ったり、魚の来ぬ時は拙な歌の一句半句でも釣り得てから帰って、美しい甘い軽微の疲労から誘われる淡い清らな夢に入ることが、翌朝のすがすがしい眼覚めといきいきした力とになることを、自然不言不語に悟らされていた。
 丁度秋の彼岸の少し前頃のことだと覚えている。その時分毎日のように午後の二時半頃から家を出でては、中川べりの西袋というところへ遊びに出かけた。西袋も今はその辺に肥料会社などの建物が見えるようになり、川の流れのさまも土地の様子も大に変化したが、その頃はあたりに何があるでもない江戸がたの一曲湾なのであった。中川は四十九曲りといわれるほど蜿蜒屈曲して流れる川で、西袋は丁度西の方、即ち江戸の方面へ屈曲し込んで、それからまた東の方へ転じながら南へ行くところで、西へ入って袋の如くになっているから西袋という称も生じたのであろう。水は湾[#挿絵]と曲り込んで、そして転折して流れ去る、あたかも開いた扇の左右の親骨を川の…

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