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運命は切り開くもの
うんめいはきりひらくもの
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆96 運」 作品社
1990(平成2)年10月25日
入力者土屋隆
校正者noriko saito
公開 / 更新2007-05-04 / 2014-09-21
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 此処に赤ン坊が生れたと仮定します。其の赤ン坊が華族の家の何不足無いところに生れたとします。然する時は此の赤ン坊は自然に比較的幸福であります。又食ふや食はずの貧乏の家で、父たる者は何処かへ漂浪して終つて居るやうな場合の時、たゞ一人の淋しい生活をして居る婦人から生れたと致します。然る時はこの赤ン坊は自然に比較的不幸福であります。善事をした訳でも悪事をしたわけでも無くて、貴家に生れると窮乏の家に生れるとで其の赤ン坊の運命は大なる差があります。この大なる差を赤ン坊のせゐにするのは不道理でして、これは前定的運命を其赤ン坊が負うて居るのです。また同じ赤ン坊でも器量良く生れるのも、器量悪く生れるのもあります。誰も美しく生れたいと思つて生れたものも無く、醜く生れたいと思つたものも無い、天然自然に親にあやかり、又は先祖にあやかり、他の者にあやかつて生れるだけの事ですが、美しく生れたものは其の美しく生れたために、醜く生れたものとは自然に異つた運命を有する訳になります。ですから是は運命前定にちがひ有りません。
 鄭伯のやうに生れ方が普通で無かつたために、奇妙な運命に絡まれた人もあります。鄭伯は寤生と云つて、(母の眠つてゐた間に生れた、即ち眠り産であつたといふ説と、逆さ子で難産であつたといふ説と二説ありますが)兎に角に母の気持を悪くした生れ方をした人ですが、其は勿論其の嬰児が特と然様した訳でも何でも有りません。ところが母は其の気持の悪かつたために、嫡子で有るに関らずこれに対して愛が薄くなるのを免れませんでした。そして其為に後から生れた弟の方を愛して、弟の方へ国を譲りたいやうな意が母に起りました。そこで大変な騒動が起り、干戈を動かすやうな事が出来た事が古い歴史にあります。此等は実に奇妙な運命を其子が生れる時に荷つて生れたもので、運命前定論を支へる一ツの稀なる事件です。稀有な事は議論の力強い材料にはなりませぬが、是の如き稀有なる事を申出さずとも、誰でも彼でも自分が時を撰び、処を撰び、家を撰び、自分の体質相貌等を撰んで生れたので無いといふことに思ひ当つたならば、自然に運命前定が少くとも一半は真理であるといふことを思ふでせう。運命が無いなぞといふことは何程自惚の強い人でも云ひ得ない事でせう。
 けれども運命前定は一半だけ真実の事実でして、全部運命は前定して居るものだなぞと思つては確にそれは間違です。随つて運命前定説から生れる運命測知術、即ちいろ/\の占卜の術などを神聖のもののやうに思つては、人間たるものの本然の希望、即ち向上心といふ高いものを蹂躪する卑屈の思想に墜ちて終ひまして甚だ宜しく無い、即ちそれは現在相違といふ過失に陥ります。人は生きて居る間は向上進歩の望を捨てることは出来ぬものであります。これは即ち端的の現在事実です。此の現在事実に背くことを考へるのは、現在相違といふ下らないこと…

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