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侠客の種類
きょうかくのしゅるい
作品ID1448
著者幸田 露伴
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆 別巻94 江戸」 作品社
1998(平成10)年12月25日
入力者加藤恭子
校正者浦田伴俊
公開 / 更新2000-12-12 / 2014-09-17
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 侠客と一口に言つても徳川時代の初期に起つた侠客と其の以後に出た侠客とは、名は同じ侠客でも余程様子が違つて居るやうである。初期のは市人の中の気慨のある者か或は武士の仕官の途に断念した者などが、武士の跋扈に反抗して之を膺懲し或は之に対抗する考へから起つたのであるらしいが、夫から以後、即ち天明前後から天保あたりへ懸けての侠客といふものは多くは博徒のやうな類である。即ち之を分類すれば、徳川初期のは強い圧迫に対する強い反抗の体現であつて、其の物の本当の意味からすれば、強い者に当る必要上真実に強きものたるを主とするは勿論であるが、真実に於ては寧ろ啻に強いことを見得として居る様な傾きのあつた、やゝ虚栄的衒耀的のものであつたらしい。然るに天明あたりからの博徒に至つては、夫れ自らが非常に強い、鷙悍当る可らざるものがあつた。然様判然とした区別は意識的には付かぬまでも、少くとも両時代の侠客には何分かの差違があつたのである。我国で乱離の世と云へば先づ足利の末世を指すのであるが、博奕が此時代から大に盛んになつた。元来戦争其ものが已に一つの大博奕であるからと云ふ訳でも無からうが、梟盧一擲と云ふ冒険的思想は、戦争にも博奕にも通じた同一の根本思想である。此の戦国時代に起つた博奕は、太平の世になつても引続いて勇気の多い、事を好む徒輩の間に盛んに行はれて居たので、尤も元文(吉宗)になつて一度禁制はされたものゝ天明前後(家治)から又た盛んになり、所謂侠客は隠然として博徒の巨魁たる観を呈して居た。
 夫れから第三次の侠客は、諸大名の中に何か一つ事が起ると人夫が必要になる、二本指の人間は使つて居ても之を雑役には使へぬし、又た俸禄の関係から云つても、平時用の無い時に万一を慮つて沢山の雇人を使つて置くといふことが出来ぬ。其処で臨時の用事が出来ると一時限りの人夫を雇ひ入れる、今日でも兵士の外に軍夫の必要があると同様で、平時でも士分以外のものなどの事故があつて引いたり居なくなつたり為た時分にも、夫れに代へる人間の必要もある、其の需要を満たす為に大名や武門と平民商人との間に、今の雇人口入業とも一緒には言へぬが所謂「人入れ」なる職業があつた。而して其の人入れ親方なるものは、職業の性質上どうしても侠客肌の者で無ければならぬ処から、斯う云ふ種類の親方なるものは大抵侠客の名を以て呼ばれたもので、たとへば近世の大侠客相政の如きも亦た土州侯の人入れであつたし、新門辰五郎の如きも矢張りたゞの博徒ではない。此等は寧ろ前述の博徒などとは全く訳が違ふのである。凡て侠客には此の一種類がある。以上で三種あつた訳だ。
 夫れで古い書物に見える初期の侠客は、「武野俗談」などにあるのであるが、正確の事実は能く解らぬ。之は古の談話製造家が面白く書き出したもので、尤も多少の事実はあつたにした処が正確なことは解つて居らぬ。西鶴も武士とか商人と…

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