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震は亨る
しんはとおる
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆 別巻96 大正」 作品社
1999(平成11)年2月25日
入力者加藤恭子
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2005-02-20 / 2014-09-18
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 震は亨る。何をか悪まむやである。彖伝には、震来つて※[#挿絵][#「隙のつくり+虎」、225-3]たりとは、恐るれば福を致すなりとある。恐るれば福を致し、或は侮り、或は亢れば災を致すのは、何事に於ても必ず然様有る可き道理である。古人は決して我等に虚言を語つて居らぬ。恐るれば此心はおのづから誠に返る、誠なれば亨り、誠なれば福は至るべきである。そこで震の大象伝にも、君子以て恐懼修省すとある。恐懼修省の工夫が有れば、以て宗廟社稷を守り、以て祭主と為るべきである。震前の一般社会の一切の事象を観るに、実に欠けてゐたものは、恐懼修省の工夫であつた。人[#挿絵]は甚だしく亢り甚しく侮り、自ら智なりとし、自ら大なりとし、貴重なる経験を軽視し、所謂好んで自ら小智を用ゐて、而も揚[#挿絵]として誇る、高慢増長慢等、慢心熾盛の外道そのまゝであつた。今に於て大震災の為に、自ら智なりとした其智が風に飛ぶ塵砂より力無きことを示された。自ら大なりとした其大なることが、猛火の前の紙片よりもつまらぬ小なるものであることを悟らされた。こゝに於て恐懼修省することを為せば、実に幸である。今に当つて猶且修省することを知らずして、旧態依然たるものが有らば、それは先に笑ひ、後に号[#挿絵]する者であらねばならぬ。笑ひ娯み、笑ひ怠るものは、泣き号び泣きくるしむ者となるべきが自然の道理である。鳥其巣を焚かれたるが如くなつて、大なる凶を得べきである。其屋を豊にし、其家に蔀し、よさゝうにすれば、日中に斗だの沫だのといふ星を見て、大なる光は遮られ、小さなる光はあらはれ、然るべき人は世にかくれ、つまらぬ者は時めき、そして、其戸を[#挿絵]へば闃として其れ人无し、三歳覿えず、凶なりといふやうになつてしまふ。震前の社会のさまは、このやうでは無かつたか。今はもう言つて甲斐なきことだ。たゞ恐懼修省の工夫を為すべきである。懼れて慎み、慎みて誠ならば、修省の道はおのづから目前に在り足下に現はるべきである。修省すれば福来り幸至るは自然の理である。慢心や笑容を去つて、粛然たる気合になれば、悪いことは生ずべきで無い。
 地震学はまだ幼い学問である。然るに、あれだけの大災に予知が出来無かつたの、測震器なんぞは玩器同様な物であつたのと難ずるのは、余りに没分暁漢の言である。強震大震の多い我邦の如き国に於てこそ地震学は発達すべきである。諸外国より其智識も其器械も歩を進めて、世界学界に貢献すべきである。科学に対して理解を欠き、科学の功の大ならざるを見る時は、忽ちに軽侮漫罵の念を生ずるのは、口惜しい悪風である。科学は吾人の盛り上げ育て上げて、そして立派なものにせねばならぬものである。喩へば吾人の子供を吾人が哀[#挿絵]劬労して育て上げねばならぬのと同じことである。まして地震学の如きは、まだ幼い学科である。そして黴菌学なんぞの如くに研究者も研究…

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