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みず
作品ID1451
著者幸田 露伴
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆33 水」 作品社
1985(昭和60)年7月25日
入力者とみ~ばあ
校正者門田裕志
公開 / 更新2001-09-12 / 2014-09-17
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 一切の味は水を藉らざれば其の味を発する能はず。人若し口の渇くこと甚しくして舌の燥くこと急なれば、熊の掌も魚の腴も、それ何かあらん。味は唾液の之を解き之を親ましむるによつて人の感ずるところとなるのみ。唾液にして存せざれば、五味もまた無用のものたらん。唾液は水なり、ムチンの存在によつて粘きも、其実は弱アルカリ性の水にして、酵素のプチアリンを含めるのみ。此中プチアリンは消化作用の一助をなすに止まり、ムチンは蓋し外物の強烈の刺激を緩和する為に存せりと覚しく、味を解きて人に伝ふるものは、実に水の力なり。体内の水の用是の如し。而して身外の水も亦、味を解きて人に伝ふるの大作用をなす。譬へば青黄赤黒の色も畢竟水の力を得て素を染むるが如し。水無ければ、絢爛の美、錦繍の文、竟に成らざるなり。こゝに於て善く染むるものは水を論じ、善く味はふものは水を品す。蜀の錦の名あるは、蜀の水の染むるに宜しければなり。加茂の水ありて、京染の名は流るゝなり。染むる者の水に藉るも亦大なりといふべし。而して味の水に藉る、亦いよ/\大なり。
 中に就て酒と茶とは殊に水の力に藉る。酒は水に因つて体を成し、茶は水に縁つて用を発す。灘の酒は実に醸[#挿絵]の技の巧を積み精を極むるによつて成ると雖、其の佳水を得るによつて、天下に冠たるに至れるもまた争ふべからず。醸家の水を貴び水を愛し水を重んじ水を吝む、まことに所以ある也。剣工の剣を鍛ひて之を[#挿絵]するや、水悪ければ即ち敗る。醸家の酒を醸す、法あり技あり材あり具ありと雖、水佳ならざれば遂に佳なるを得ざるなり。豆腐は[#挿絵]醸の事無しと雖、水に因つて体を成すこと猶酒の如し。故に水佳なれば佳品を得、水佳ならざれば佳品を得ず。京の祇園豆腐も蓋し其の水の佳なるによつて名を得るなり。茶に至つては、其味もと至微の間に在り。こゝに於て水に須つ処のもの甚深甚大なり。東山氏は園内の清泉を用ゐ、豊臣氏は宇治の橋間に汲ましむ。予むしろ豊臣氏に左袒せん。小泉清しと雖、長流或は勝らんなり。堅田の祐菴は水の味を知るに於て精し。琵琶湖の水、甲処に於て汲む者と乙処に於て汲む者とを弁じて錯まらざりしといふ。茶博士たるもの、固に是の如くなるべき也。支那に於ては西冷の水、天下に名あり。士の特に此を汲むもの、文の特に此を記するもの、甚だ多し。長江の水、おのづから又佳処あり不佳処ありて、而して郭墓の辺、もつとも佳なるならん。凡そ水味を論ずるの書、唐の張又新、盧仝等より始まりて、宋元明清に及び、好事の士、時に撰著あり。蘇東坡の真君泉を賞し、葛懶真の藍家井を揚ぐるが如き、詩詞雑述のこれに及ぶもの、また甚少からず。我邦に於ては、乗化亭の書以外、寥[#挿絵]聞くところ無し。千氏片桐氏等、茶技を以て名あるもの、水を品せざるにあらずと雖、面授して而して筆伝せず。故に其の言散見するありて、其書の完成せる無きな…

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