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夜明け前
よあけまえ
副題04 第二部下
04 だいにぶげ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「夜明け前 第二部(下)」 岩波文庫、岩波書店
1969(昭和44)年2月17日
入力者大野晋、小林繁雄
校正者砂場清隆
公開 / 更新2001-07-04 / 2014-09-17
長さの目安約 212 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

     第八章

       一

  母刀自の枕屏風に
いやしきもたかきもなべて夢の世をうら安くこそ過ぐべかりけれ
花紅葉あはれと見つつはるあきを心のどけくたちかさねませ
おやのよもわがよも老をさそへども待たるるものは春にぞありける
 新しく造った小屏風がある。娘お粂がいる。長男の宗太がいる。継母おまんは屏風の出来をほめながら、半蔵の書いたものにながめ入っている。そこいらには、いたずらざかりな三男の森夫までが物めずらしそうにのぞきに来ている。
 そこは馬籠の半蔵の家だ。ただの住宅としてはもはや彼の家も広過ぎて、いたずらに修繕にのみ手がかかるところから、旧い屋敷の一部は妻籠本陣同様取り崩して桑畠にしたが、その際にも亡き父吉左衛門の隠居所だけはそっくり残して置いてある。おまんはその裏二階から桑畠のわきの細道を歩いて、食事のたびごとに母屋の方へと通って来ている。その年、明治六年の春はおまんもすでに六十五歳の老婦人であるが、吉左衛門を見送ってからは髪も切って、さびしい日を隠居所に送っているので、この継母を慰めるために半蔵は自作の歌を紙に書きつけ、それを自意匠の屏風に造らせたのであった。高さ二尺あまりほどのものである。杉柾の緑と白い紙の色との調和も、簡素を愛する彼の好みをあらわしていた。これを裏二階のすみにでも置いて戸障子のすきまから来る風のふせぎとしてもよし、風邪にでも冒された日の枕もとに置いて訪う人もない時の友としてもよし、こんな彼の言葉も継母をよろこばせるのであった。
 ちょうど、お民も妻籠の生家の方へ出かけてまだ帰って来ない時である。半蔵のそばへ来て祖母たちと一緒に屏風の出来をいろいろに言って見るお粂も、もはや物に感じやすい娘ざかりの年ごろに達している。彼女は、母よりも父を多くうけついだ方で、その風俗なぞも嫁入り前の若さとしてはひどく地味づくりであるが、襟のところには娘らしい紅梅の色をのぞかせ、それがまた彼女によく似合って見えた。彼女はまた、こうした父の意匠したものなぞにことのほかのおもしろみを見つける娘で、これを父が書く時にも、そのそばに来て墨をすろうと言い、紙にむかって筆を持った父の手から彼女の目を放さなかったくらいだ。もともとこの娘の幼い時分から親の取りきめて置いた許嫁を破約に導いたのも、一切のものを根から覆すような時節の到来したためであり、これまでどおりの家と家との交際もおぼつかないからというのであって、旧い約束事なぞは大小となく皆押し流された。小さな彼女の生命が言いあらわしがたい打撃をこうむったのも、その時であった。でも、彼女はそうしおれてばかりいるわけでもない。祖母のためにと父の造った屏風なぞができて見ると、彼女はその深傷の底からたち直ろうとして努めるもののごとく平素の調子に帰って、娘らしい笑い声で父の心までも軽くさせる。
 実に久しぶりで、…

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