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作品ID1510
副題02 (下)
02 (げ)
著者島崎 藤村
文字遣い新字新仮名
底本 「家(下)」 新潮文庫、新潮社
1955(昭和30)年5月10日、1968(昭和43)年4月30日第18刷改版
入力者(株)モモ
校正者藤田禎宏
公開 / 更新2000-12-05 / 2014-09-17
長さの目安約 289 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 橋本の正太は、叔父を訪ねようとして、両側に樹木の多い郊外の道路へ出た。
 叔父の家は広い植木屋の地内で、金目垣一つ隔てて、直にその道路へ接したような位置にある。垣根の側には、細い乾いた溝がある。人通りの少い、真空のように静かな初夏の昼過で、荷車の音もしなかった。垣根に近い窓のところからは、叔母のお雪が顔を出して、格子に取縋りながら屋外の方を眺めていた。
 正太は窓の下に立った。丁度その家の前に、五歳ばかりに成る児が余念もなく遊んでいた。
「叔母さん、菊ちゃんのお友達?」
 心易い調子で、正太はそこに立ったままお雪に尋ねてみた。子供は、知らない大人に見られることを羞じるという風であったが、馳出そうともしなかった。
 短い着物に細帯を巻付けたこの娘の様子は、同じ年頃のお菊のことを思出させた。
 お雪が夫と一緒に、三人の娘を引連れ、遠く山の上から都会の方へ移った時は、新しい家の楽みを想像して来たものであった。引越の混雑の後で、三番目のお繁――まだ誕生を済ましたばかりのが亡くなった。丁度それから一年過ぎた。復た二番目のお菊が亡くなった。あのお菊が小さな下駄を穿いて、好きな唱歌を歌って歩くような姿は、最早家の周囲に見られなかった。
 姉のお房とは違い、お菊の方は遊友達も少なかった。「菊ちゃん、お遊びなさいな」と言って、よく誘いに来たのはこの近所の娘である。
 道路には日があたっていた。新緑の反射は人の頭脳の内部までも入って来た。明るい光と、悲哀とで、お雪はすこし逆上るような眼付をした。
「まあ、正太さん、お上んなすって下さい」
 こう叔母に言われて、正太は垣根越しに家の内を覗いて見た。
「叔父さんは?」
「一寸歩いて来るなんて、大屋さんの裏の方へ出て行きました」
「じゃ、私も、お裏の方から廻って参りましょう」
 正太はその足で、植木屋の庭の方へ叔父を見つけに行くことにした。
 この地内には、叔父が借りて住むと同じ型の平屋がまだ外にも二軒あって、その板屋根が庭の樹木を隔てて、高い草葺の母屋と相対していた。植木屋の人達は新茶を造るに忙しい時であった。縁日向の花を仕立てる畠の尽きたところまで行くと、そこに木戸がある。その木戸の外に、茶畠、野菜畠などが続いている。畠の間の小径のところで正太は叔父の三吉と一緒に成った。


 新開地らしい光景は二人の眼前に展けていた。ところどころの樹木の間には、新しい家屋が光って見える。青々とした煙も立ち登りつつある。
 三吉は眺め入って、
「どうです、正太さん、一年ばかりの間に、随分この辺は変りましたろう」
 と弟か友達にでも話すような調子で言って、茶畠の横手に養鶏所の出来たことなどまで正太に話し聞せた。
 何となく正太は元気が無かった。彼の上京は、叔父が長い仕事を持って山を下りたよりも早かった。一頃は本所辺に小さな家を借りて、細君の…

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