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駒台の発案者
こまだいのはつあんしゃ
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆 別巻8 将棋」 作品社
1991(平成3)年10月25日
入力者土屋隆
校正者門田裕志
公開 / 更新2006-04-07 / 2014-09-18
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 京橋の新富町に、小松将棋所といふのがあつた。こゝの主人は小松三香と云ひ、将棋は四段であつたが、ある日、わたしがたづねて行くと、
「ちやうどいゝところへきた。――品川に川島楼といふ貸座敷があるが、その飯塚といふ主人が将棋が好きで、そこへ行くと飲ましてくれるし、また褒美にありつけるかも知れぬ。もし、暇だつたら行つてみたらよからう。」と、いふ。
 酒をのませてくれた上に、御褒美にまでありつける。――こんないゝ話は滅多にない。で、わたしは二つ返事で、その川島楼に行つてみた。
 こゝの主人は飯塚力造と云ひ、川崎の出身、もともと鼈甲屋さんだつたのが金を貯めて品川へ出て来たのであつた。
 さて、この川島楼の主人と将棋をさしてみたが、小松さんの話では大したことはなからうと思はれてゐたのに、いざ、盤に向つてみると、――いや強いの強くないの、ベラボーに強いのである。(をかしいな?)と思つて、主人に小松さんのことをきいてみると、なんのことはない、小松さんは御褒美をもらつたどころか、却つて御褒美を出させられてかへつたといふのである。で、その口惜しまぎれに、仇を討たせようと思つたのか、嘘をついてあたしを差し向けたのであつた。
 さらにあとでよくきくと、強いのも道理、この飯塚さんは(川崎小僧)といはれた名手であつた。(小僧)といふのは、その地方においてならぶものなき力を持つたものの別称である。たとへば、現在の名誉名人小菅剣之助さんは名古屋の笠寺の生れだから、(笠寺小僧)と呼ばれ、本所に住んでゐた相川次三吉さんは(本所小僧)と呼ばれ、わたしはまた(宝珠花小僧)といはれてゐたやうなものであつた。
 その後、わたしは半香などでさしたりしたが、なかなか強かつた。この飯塚力造さんが将棋さしの本職になつたらずゐぶん強くなつただらう。
 ――いまからざつと三四十年のむかしのことである。
 ところで、現在つかはれてゐるやうな将棋の駒台を発明したのは、実はこの飯塚さんであつた。
 飯塚さんが駒台を発案するまでは、高段者は半紙を四つに折つてその上に駒を置いてゐたものなのである。ところが、最初飯塚さんはお雛様にいろんなお供へものをするあの飾台からヒントを得て、さういふものがあつたならば、手でとるのにも便利だし、眼で見るのにもハツキリするといふところから、工夫に工夫をこらして、現在用ひられてゐるやうな形式にまで発展させ完成させたのであつた。
 出来た当時は、三十銭か四十銭の極く簡単なものであつたが、今日では非常に凝つたものが出来るやうになり、値も張つて二十円や三十円といふ高いものさへあるくらゐである。――とにかく、将棋もしまひには素人八段といふところまで進み、将棋界として忘れてはならない恩人であつた。
 単に駒の台といふことだけではなく、晩年にはわたしたちと組んで、京橋の槙町に帝国将棋所なるものをつくり、金…

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