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幕末維新懐古談
ばくまついしんかいこだん
作品ID1547
副題02 私の子供の時のはなし
02 わたしのこどものときのはなし
著者高村 光雲
文字遣い新字新仮名
底本 「幕末維新懐古談」 岩波文庫、岩波書店
1995(平成7)年1月17日
入力者山田芳美
校正者土屋隆
公開 / 更新2006-02-24 / 2016-01-18
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 これから私のことになる――
 私は、現今の下谷の北清島町に生まれました。嘉永五年二月十八日が誕生日です。
 その頃は、随分辺鄙なむさくるしい土地であった。江戸下谷源空寺門前といった所で、大黒屋繁蔵というのが大屋さんであった。それで長屋建てで、俗にいう九尺二間、店賃が、よく覚えてはいないが、五百か六百……(九十六文が百、文久銭一つが四文、四文が二十四で九十六文、これが百である。これを九六百という)。
 四、五年は別に話もないが……私の生まれた翌年の六月に米国の使節ペルリが浦賀に来た。その翌年、私の二ツの時は安政の大地震、三年は安政三年の大暴風――八歳の時は万延元年で、桜田の変、井伊掃部頭の御首を水戸の浪士が揚げた時である。――その時分の事も朧気には記憶しております。

 十歳の時、母の里方、埼玉の東大寺へ奉公の下拵えに行き、一年間いて十一に江戸へ帰った。すると、道補の実弟に、奥州金華山の住職をしている人があって、是非私を貰いたいといい込んで来ました。父は無頓着で、当人が行くといえば行くも好かろうといっていましたが、母は、たった一人の男の子を行く末僧侶にするは可愛そうだといって不承知であったので、この話は中止となった。
 私は十二歳になりました。この十二歳という年齢は、当時の男の子に取っては一つのきまりが附く年齢である。それは、十二になると、奉公に出るのが普通です。で、両親たちも私の奉公先についてよりより相談もし心配もしておったことであるが、私は、生まれつきか、鋸や鑿などをもって木片を切ったり、削ったりすることが好きで、よく一日そんなことに気を取られて、近所の子供たちと悪戯をして遊ぶことも忘れているというような風であったから、親たちもそれに目を附けたか、この児は大工にするがよろしかろうということになった。大工というものは職人の王としてあるし、職としても立派なものであるから、腕次第でドンナ出世も出来よう、好きこそ物の上手で、俺に似て器用でもあるから、行く行くは相当の棟梁にもなれようというような考えで、いよいよ両親は私を大工にすることにした。

 ちょっとその頃の私どもの周囲の生活状態を話して見ると、今からは想像の外であるようなものです。現在ではただの労働者でも、絵だの彫刻だのというようなことが多少とも脳にありますが、その頃はそうした考えなどは、全くない。絵だの彫刻だのということに気の附くものは、それは相当の身分のある生活をしている人に限られたもので、貧しい日常を送っている町人の身辺には、そんなことはまるで考えても見なかったものです。早い話が、家のつくりのようなものでも、作りからして違っている。今日ではドンナ長屋でも床の間の一つ位はあるけれども、その時代は、普通の町人の家には床の間などはない。玄関や門などはなおさらのこと、……そういうもののあるのは、居附き地主か、…

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