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幕末維新懐古談
ばくまついしんかいこだん
作品ID1555
副題10 仏師の店のはなし(職人気質)
10 ぶっしのみせのはなし(しょくにんきしつ)
著者高村 光雲
文字遣い新字新仮名
底本 「幕末維新懐古談」 岩波文庫、岩波書店
1995(平成7)年1月17日
入力者網迫、土屋隆
校正者しだひろし
公開 / 更新2006-02-26 / 2016-01-18
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 師匠東雲師の家が諏訪町へ引っ越して、三、四年も経つ中に、珍しかった硝子戸のようなものも、一般ではないが流行って来る。師匠の家でもそれが出来たりしました。障子の時は障子へ「大仏師高村東雲」など書いてあったもの。
 仕事は店でやったものです。店には兄弟子、弟弟子と幾人かの弟子がいますが、その人々はただ腕次第、勉強次第でコツコツとやっている。別に現今のよう、その製作が展覧会などで公開され、特選とか推薦とかいって品評されるわけでもなく、特にまた師匠が明らさまに優劣を保障するわけでもないが、何時となく、誰いうとなく、腕の好いものと、拙いものとはチャンと分っている。それは自然自他ともにそれを感ずるのであって、自分がいかにお天狗でも人はそれを許さず、人の評判ばかり高くて虚名がよしあるにしても、楽屋内では、それを許さない。だから自然と公平な優劣判断のようなものが、仲間のなかに分っていたものです。
 たとえば、或る仏師の弟子の製作があるとして、それが塗師屋の手に渡る。塗師屋の主人は、それを手に取って、「オヤこれは旨いもんだ。素晴らしい出来だ。何処から来たんだ。誰の作だ」と訊くと、「それは、何さんの所の弟子の何さんという人の作だ」という。それで、その作をした人の名が一人に分り、二人に記憶され、今度、たとえば、その作人がその塗師屋へ使いに行くとして、親方の挨拶が、ガラリ違って、丁寧になるという塩梅、それはおかしなものであります。

 右の如く、弟子たちは、仕事のことに掛けては、一心不乱、互いに劣るまい、負けまいと、少しの遠慮会釈もなく、仕事本位の競争をしますが、内面の交わりとなると、それはまた親密なものでありました。
 たとえば、今夜はお鳥様だから、一緒に出掛けようという時に一人の弟子は、懐工合が悪いので、行きしぶっているとして、工面の好い連中が、「何を考えてるんだ。出掛けろ出掛けろ」と、一切飲食のことをも負担したもので、なかなかうつくしいところがあったものです。
 と、いって、またなかなか仕事の事になると許さない処がある。田舎から用事のある人が訪問て来て、或る仏師の店を覗き、「もし、お尋ねしますが、此店に仏師の松さんはいますか」
と聞いたものです。すると、誰かが、
「仏師の松さんね。そんな人はいないよ」と返事をしたもの。
 実は其所に松さんは隅の方で小さくなって仕事をしているが、それはまだ「仕上げ師」の方で、仏師と呼ばれる資格はないから、こんな皮肉な返事をしたもので、田舎の人は、仏師屋の職人だから、仏師かと思って何んの気なしにいったのですが、松さん当人は顔が紅くなるようなわけ。なかなか許さなかったものです。仕上げをするのを、ケズリ師といって、これはまだ未熟の職人の仕事で「刻り」をするようにならなければ、仏師の資格はないのです。けれども、当時は、各人その職に甘んじ、決して不平な…

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