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滝口入道
たきぐちにゅうどう
作品ID1556
著者高山 樗牛
文字遣い旧字旧仮名
底本 「瀧口入道」 岩波文庫、岩波書店
1938(昭和13)年12月2日、1968(昭和43)年10月16日第32刷改版
初出「読売新聞」1894(明治27)年4月16日~5月30日
入力者笠置一郎
校正者双沢薫
公開 / 更新2001-07-12 / 2015-08-04
長さの目安約 100 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

第一

 やがて來む壽永の秋の哀れ、治承の春の樂みに知る由もなく、六歳の後に昔の夢を辿りて、直衣の袖を絞りし人々には、今宵の歡曾も中々に忘られぬ思寢の涙なるべし。
 驕る平家を盛りの櫻に比べてか、散りての後の哀れは思はず、入道相國が花見の宴とて、六十餘州の春を一夕の臺に集めて都西八條の邸宅。君ならでは人にして人に非ずと唱はれし一門の公達、宗徒の人々は言ふも更なり、華冑攝[#挿絵]の子弟の、苟も武門の蔭を覆ひに當世の榮華に誇らんずる輩は、今日を晴にと裝飾ひて綺羅星の如く連りたる有樣、燦然として眩き許り、さしも善美を盡せる虹梁鴛瓦の砌も影薄げにぞ見えし。あはれ此程までは殿上の交をだに嫌はれし人の子、家の族、今は紫緋紋綾に禁色を猥にして、をさ/\傍若無人の振舞あるを見ても、眉を顰むる人だに絶えてなく、夫れさへあるに衣袍の紋色、烏帽子のため樣まで萬六波羅樣をまねびて時知り顏なる、世は愈[#挿絵]平家の世と覺えたり。
 見渡せば正面に唐錦の茵を敷ける上に、沈香の脇息に身を持たせ、解脱同相の三衣の下に天魔波旬の慾情を去りやらず、一門の榮華を三世の命とせる入道清盛、さても鷹揚に坐せる其の傍には、嫡子小松の内大臣重盛卿、次男中納言宗盛、三位中將知盛を初めとして、同族の公卿十餘人、殿上三十餘人、其他、衞府諸司數十人、平家の一族を擧げて世には又人なくぞ見られける。時の帝の中宮、後に建禮門院と申せしは、入道が第四の女なりしかば、此夜の盛宴に漏れ給はず、册ける女房曹司は皆々晴の衣裳に奇羅を競ひ、六宮の粉黛何れ劣らず粧を凝らして、花にはあらで得ならぬ匂ひ、そよ吹く風毎に素袍の袖を掠むれば、末座に竝み居る若侍等の亂れもせぬ衣髮をつくろふも可笑し。時は是れ陽春三月の暮、青海の簾高く捲き上げて、前に廣庭を眺むる大弘間、咲きも殘らず散りも初めず、欄干近く雲かと紛ふ滿朶の櫻、今を盛りに匂ふ樣に、月さへ懸りて夢の如き圓なる影、朧に照り渡りて、滿庭の風色碧紗に包まれたらん如く、一刻千金も啻ならず。内には遠侍のあなたより、遙か對屋に沿うて樓上樓下を照せる銀燭の光、錦繍の戸帳、龍鬢の板疊に輝きて、さしも廣大なる西八條の館に光到らぬ隈もなし。あはれ昔にありきてふ、金谷園裏の春の夕も、よも是には過ぎじとぞ思はれける。
 饗宴の盛大善美を盡せることは言ふも愚なり、庭前には錦の幔幕を張りて舞臺を設け、管絃鼓箏の響は興を助けて短き春の夜の闌くるを知らず、豫て召し置かれたる白拍子の舞もはや終りし頃ほひ、さと帛を裂くが如き四絃一撥の琴の音に連れて、繁絃急管のしらべ洋々として響き亙れば、堂上堂下俄に動搖めきて、『あれこそは隱れもなき四位の少將殿よ』、『して此方なる壯年は』、『あれこそは小松殿の御内に花と歌はれし重景殿よ』など、女房共の罵り合ふ聲々に、人々等しく樂屋の方を振向けば、右の方より薄紅の素袍に右の袖を肩脱ぎ、…

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