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「平家物語」ぬきほ(言文一致訳)
「へいけものがたり」ぬきほ(げんぶんいっちやく)
作品ID15937
著者作者不詳
翻訳者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第二十八巻」 新日本出版社
1981(昭和56)年11月25日初版
入力者柴田卓治
校正者土屋隆
公開 / 更新2009-05-20 / 2014-09-21
長さの目安約 50 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

     葵の前

(高倉)
 其の頃何より優美でやさしいことの例に云い出されて居たのは中宮の御所に仕えて居る局の女房達がめしつかわれて居た上童の中に葵の前と云って陛下の御側近う仕る事がある上童が居た。およびになるほどの御用がなくっても主上は常に御召になって居るので主の女房も召しつかう事が出来ずかえって主の女房が葵の前を御主人のようにもてなしていらっしゃった。昔のひなうたに「女を生んでも悲しんではならない。女は運よくさえあれば妃ともなれば又妃は后ともなると云う事がある。」かどうかわからないけれども此の御方はきっと末には女御后とも云われる様にも御なりになるだろうと内々、人のうわさをする時などには葵女御等と云って居た。主上はいつの間にか此の噂を御ききになってからは一寸も今までの様に御召にならなかった。是んな事のあったのはほんとうに御志のつきたのではなく、只、世の中のそしりを思召ての御心であった。御心のつきて遊ばされた事ではないので御心がさわやかでなく、御供なんかも一寸もめし上らずよくも御寝遊ばされないほどであった。その時摂[#挿絵]の松殿が此の事を聞いて「さて、そんなに御考えるつみになるような事があるならば参内して御なぐさめ申さねばならない」と大急ぎで参内して申し上げるには「その様に御心までなやませ給うようになるまで世間をはばかって居らっしゃってはしようがございません。只今すぐその人を御召遊ばしませ。姓や素情を御さぐりになるにはおよびませんですから。やがて基房がよいようにとりはからいましょうから」と申し上げたらば主上は「位を退ってからはそのような事のあった例もたまにはきいて居たけれどもちゃんと位に居ながらそのような物を召された例はまだ一度もきいた事がない。それに私の御代に始めて始めたら後の世の笑草そしり草となるであろう」と仰せてお聞入にならない。関白殿も何ともしようがないので急いで車にのって御退出なってしまった。或る時主上が御手習の御ついでにみどりの薄様の香の香のことに深いのに故い歌ではあるけれ共このような時であったろうと思召されて、
忍ぶれど色に出にけり我恋は 物や思ふと人の問ふまで
と御書になって御腹心の殿上人が御取次して葵の前に給わった。葵の前はそれを賜った悲しさがやるかたないので一寸、かげんが悪いと云って御暇たまわって家に帰り障子を閉めきって其の御書を胸にあて顔にあて悲しみ悶えて居たがかえってから十四日目と云う日にとうとうはかなくなってしまった。主上は此の事を御ききつたえになって大変御歎に沈んで居らっしゃる。君が一日の恩のために妾が百年の身をあやまつと云ったのも此の様な事を云うのであろう。彼の唐の太宗の鄭仁基が娘を元観殿に入れようとした時に魏徴が貞女既に陸士に約せりと云ったので元観殿に入れようとしたのをやめられたのにも勝った主上の御心ばせだと人々が申して…

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