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湯ヶ島の数日
ゆがしまのすうじつ
作品ID15962
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第三十巻」 新日本出版社
1986(昭和61)年3月20日
初出「文芸時報」1926(大正15)年
入力者柴田卓治
校正者富田倫生
公開 / 更新2012-03-16 / 2014-09-16
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

十二月二十七日 湯ヶ島へ出立。
 すっかり仕度が出来上ったが余り時間がない。俥でことこと行くよりはと、フダーヤ老松町の通へ空車を捕えに出た。早朝なのでなし。かえって、一台だけ来た人力車にのって先へ出かけ、自分二十分も待たされて出発。列車は十時五十分に東京駅を出るというのに、飯田橋で時計を見ると、十五分しかない。自働車にのりかえ、やっと車室に乗込んだら直ぐ発車という程度で間に合った。
 隣席に一青年在り。サンデー毎日らしいものの小説を読む。ただ読むのではない。色鉛筆を片手に、無駄と思うところ(らしい)数行ぐるりとしるしをつけ、校正のようにトルと記入し、よいと思うところ(らしい)には傍線を附す。至極深刻な表情を保って居る。
 修善寺より乗合自働車。女の客引が客を奪い合う様子、昔の宿場よろしくの光景なり。然し、どれも婆。
 すっかり夜になり、自働車を降りて、更に落合楼に下る急な坂路にかかると、思いがけず正面に輪廓丸い二連の山、龍子の墨絵のようにマッシヴに迫り、こわい程遙か底に宿の小さい灯かげ、川瀬の響あり。十二夜の月を背負った山の真黒で力強い印象。目まいがした。
 落合楼、川に挾まれ、温泉宿らしくなくさっぱりしてよろし。部屋もよし。但、二部屋とれるかどうかは疑問だ。餅搗きの音がした。

十二月二十八日
 目が醒めると、隣に尺八を吹く人あり。少し悲観。部屋を、直ぐ横の六畳二つにして貰う。
 実に、すばらしい天気。碧い空、日光を吸って居る暖かそうな錆金色の枯草山、その枯草まじりに、鮮やかに紅葉したまま散りもせぬ蔦類。細かく風にそよぐ竹藪、蒼々とした杉木立、柑橘類、大島椿。伊豆はよいところという感銘深し。日本のなごやかな錦の配色など――金地に朱、黄、萌黄、茶、緑などあしらった――は、斯那自然の色調から生れたものと思う。蜜柑、橙々の枝もたわわに実ったのを見たら、岡本かの子の歌を連想した。南画的樹木多し。私達の部屋の障子をあけると大椎樹の下に、宿の吊橋が見える。

十二月二十九日
 昨日の天候は特別であった由。今日は寒い。隣の尺八氏のところへ、客あり。老女。三味線をとりよせて、合奏す。六段をやるのだがテントンシャンとなだらかにゆかず、三味線も尺八も、互にもたれあって、テン、トン、シャン、とやっとこ進む。大いに愛嬌があって微笑した。けれども困るので、尺八氏と相談し夜は静にしてお貰いすることとする。

十二月三十日。
 越年の客大分立てこんで来た。くに、いそがしがって上気せて居る。子供連多し。くにに「おねえちゃん、御飯まだでちゅか」という男の子の声す。

十二月三十一日。
 夜十二時過まで机の前に居る。おなかが空いたが板場は宵に家へ帰ったというので、餅をやき、海苔を巻いてたべる。女中達が、夜なかに吊橋を渡って髪結いに出かける下駄の歯の音だけが、どうやら大晦日らしい。去年の都会的…

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