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秋の反射
あきのはんしゃ
作品ID15963
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第三十巻」 新日本出版社
1986(昭和61)年3月20日
初出「ウーマンカレント」1926(大正15)年6月号
入力者柴田卓治
校正者土屋隆
公開 / 更新2007-10-02 / 2014-09-21
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

          一

 田舎[#「田舎」は底本では「 舎」]では何処にでも、一つの村に一人は、馬鹿や村中の厄介で生きている独りものの年寄があるものだ。敷生村では十年ばかり前、善馬鹿という白痴がいた。女子供に面白がられたり可怖がられたりしていたが、池に溺れて或る冬死んだ。それ以来幸なことに白痴は一人も出なかった。尤も、気違いが一人いたが。――三十五になる、村ではハイカラな女であった。彼女は東京に出て、墓地を埋めて建てた家を知らずに借りて住んだ。そこで二人目の子供を産んで半月立った或る夕方、茶の間に坐っていた女がいきなり亭主におこりつけた。
「いやな人! 何故其那に蓮の花なんぞ買いこんで来たんだよ、縁起がわるい!」
 亭主は働きのない、蒼い輓い顔をした小男であった。
「――俺そんなもの、買って来やしねえ」
「うそ! 壁まで蓮の花だらけだよ。この人ったら」
「買わねえよ――何云ってるんだ」
「強情張るにも程がある。ほら、ほら! そんなにあるのに無いって私をだますのか、ほら、ほら! ああ、蓮だらけだよう!」
と、彼女はおいおい泣いて亭主にかじりついた。――これが気違いになり始めだと云う噂であった。村へ帰って来ても発狂は治らなかった。然し、何かひどく工合よい機械のように、毎年毎年、年児に女や男の児を産みつづけた。村の人は愕いて居心地わるく感じていた。然し亭主がいて、皆其一隊を養っている以上別に云う程のことはない。――
 村の在郷軍人で、消防の小頭をし、同時に青年団の役員をつとめている仙二が心を悩ましていたのは、お園のことや、近く迫っている役員改選期のことではなかった。沢や婆さんのことであった。
 何故、この白髪蓬々の、膝からじかに大きな瞼に袋の下った顔がくっついているように見える程腰の曲った婆さんが、姓も名も呼ばれず、沢やという屋号で呼ばれているのか? 亭主はあったのか? なかったのか? 何か沢やらしい商売でもしていたのか? つい先頃、後妻にいじめられ、水ものめずに死んだ石屋の爺さんが、七十六かで、沢や婆さんと略同年輩の最後の一人であった。その爺さえ、彼女の前身を確に知ってはいなかった。まして、村の若い者、仙二位の男達だって、赤児で始めて沢や婆さんの顔を見、怯えて泣き立てて以来、見なれて、改った身元の穿索もせずに来た。村の往道に一本、誰のものとも判らない樫の木が飛び生えていた。その樫の木はいつ其那ところへ芽を出したのだろうとは誰も考えもせず、永年荷馬車を一寸つないだり、子供が攀じ登りの稽古台にしたり、共同に役立てて暮して来た。沢や婆さんの存在もその通りであった。村人は、彼女が女であって、やはり金や家や着物がないと暮して行けない――自分と同じ人間であることも忘れたようになって、或る時は呼んで按摩をさせた。或る時は留守番をさせ、或る時は台処の土間で豆をむかせた。何かさ…

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