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今日の文章
こんにちのぶんしょう
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第三十巻」 新日本出版社
1986(昭和61)年3月20日
初出「読書と人生」1939(昭和14)年9月号
入力者柴田卓治
校正者土屋隆
公開 / 更新2007-12-22 / 2014-09-21
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 文章というものも生きているものだから、時代の空気といつも微妙なつながりをもって動いていると思う。
 一二年前から、誰にでもわかりやすい文章で、物を書くべきであるという気風がおこって来ている。もとより文章は、書いたひとが読者につたえたい何ものかを持っているからこそ、文字にあらわしてそれが普遍化することを求めるのだから、そういう本来の性質から云って、どういう時代にも、分りにくくて結構だという建てまえで書かれた文章は、おそらく無かったであろう。
 近頃、文章にわかりやすさの求められて来ている傾向は、従来のそういう一般的な必要が改めて認識されて来ているという単純な原因ばかりではないように見える。今の文章の平易さへの傾向のうしろには、これまでの日本の知識階級がもちつづけて来ていた知識なり、考えかたなり、生活態度、ひいては物の云いかたとしての文章に対して、一種の批評が生じて居るということが関係している。これまで日本の知識人は外国かぶれが多すぎたという概括的な判断が一部にあって、ああ云うまわりくどいような文章は日本の文章の系統ではないという反撥があって、そこで、日本らしい、はっきりした、小学校さえ出ていれば誰にでもわかる文章というようなことが云われていると思われる。そして、文章が内容なしで一行だって書かれるものでないから、文章の上でそういう時局風な主張をもっている場合、その文章のなかみもおのずから形式と一致したものをもっているのが、実際である。この傾向は、文章道の上での、よしあしの問題から、その当初に於てはるかに歩み出した現実の一面の必要を示しているものであった。其故わかり易い文章によって、そういう事物の表現を必要とする読書層の実質を、文化的に高めて行こうとするよりも、先ずその層の程度に適応して行って、そこで一定の或るまとまりに入れられたものの云い方考えかたを導こうとする態度が示された。その態度は、そういう文章を書く人々の感情に或る気負ったものをもたせて、そういう人々の文章には、独特の調子の張りがあり、一言で云えば勇ましいような断言的な口調をもっている。心に恃むところがある、ということをジェスチュアとして持っている文章である。
 そういう種類の文章のもう一つの特徴は、文章が粗大の傾きをもっていることである。大いに堂々と云われている結論なり断定なりが、十分精密強固な客観的事実の綜合の結果として、そう云われざるを得ないものであったことを文章のなかで自然と納得させて行く、という魅力、説得力を欠いている。文筆上の軍需景気とユーモアをもってゴシップに現れている武藤貞一という人が思い出されるのは、単なる偶然ではなかろう。
 日本の文脈ということについて極端にさかのぼってだけ考える人々の間には、漢語で今日通用されている種々の名詞や動詞を、やまとことばというものに翻訳し、所謂原体にかえ…

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