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芸術ぎらい
げいじゅつぎらい
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「太宰治全集10」 ちくま文庫、筑摩書房
1989(平成元)年6月27日
初出「映画評論 第一巻第四号」1944(昭和19)年4月1日
入力者土屋隆
校正者noriko saito
公開 / 更新2005-04-24 / 2016-07-12
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 魯迅の随筆に、「以前、私は情熱を傾けて支那の社会を攻撃した文章を書いた事がありましたけれども、それも、実は、やっぱりつまらないものでした。支那の社会は、私がそんなに躍起となって攻撃している事を、ちっとも知りやしなかったのです。ばかばかしい。」というような文章があって、私はそれを読んでひとりで声を出して笑ってしまった事があるけれども、私が映画に就いて語る場合も、少しそれと似たような結果になるのではあるまいかと思われる。
 私は十年来、ひどくまずい小説ばかり書いて来ている三十六歳の男子であって、小説界に於いても私の言説にまじめに耳を傾けてくれるような物好きな人がひとりもいない現状なのだから、いわんや、映画界に於いては、誰も私のつまらぬ名前など知らんのではないかと思われる。名前を知られたって、ろくな事は無いのだし、別段、自分の無名を残念がってもいないのであるが、でも、世間の人は、無名の人の文章は(お互いいそがしいのだから)てんで読もうとしないので、困るのである。私がもし映画統制局々長(そんな官名があるかどうか知らないが)とか何とかの肩書のある男であったなら、「どうも、なんですねえ、娯楽味を忘れては、なりませんですねえ」などと何の意味も無いような意見を述べても、映画界の幹部たちはひとしく感奮し、ただちに映画界の全従業員を集めて、「実にこの娯楽味を忘れてはなりませぬです」という一場の訓辞をこころみるかも知れないのだから、人の気持って微妙なものだ。
 私だって少しは誇りを持っている。自分の書いた文章が、全く読まれないか、あるいはざっと一読の光栄に浴して、そうして、「なんだいこれは」と顔をしかめられるのをハッキリ自覚しながら、それでも一字一字まじめに考え考えして文章を書かなければならぬというのは、つらい話である。むかしの私だったら、この種の原稿の依頼に対しては汗顔平伏して御辞退申し上げるに違いないのであるが、このごろの私は少し変った。日本のために、自分の力の全部を出し切らなければならぬ。小説界と映画界とは、そんなに遠く隔絶せられた世界でもない。小説家としての私の愚見も、あるいは、ひょっとしたら、ひとりの勇敢な映画人に依って支持せられるというような奇蹟が無いものでもあるまい。もし、そのような奇蹟が起ったならば、これもまた御奉公の一つだと思われる。どんな小さい機会でも、粗末にしてはならぬのである。

 映画は芸術であってはならぬ。芸術的雰囲気などといういい加減なものに目を細めているから、ろくな映画が出来ない。かつて私は次のような文章を発表した事がある。「誰しもはじめは、お手本に拠って習練を積むのですが、一個の創作家たるものが、いつまでもお手本の匂いから脱する事が出来ぬというのは、まことに腑甲斐ない話であります。はっきり言うと、君は未だに誰かの調子を真似しています。そこに目標…

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