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日記・書簡
にっき・しょかん
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第三十巻」 新日本出版社
1986(昭和61)年3月20日
入力者柴田卓治
校正者土屋隆
公開 / 更新2008-03-31 / 2014-09-21
長さの目安約 16 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 一九二〇年三月二十二日
 郡山は市に成ろうとして居る。桑野は当然その一部として併合されるべきものである。村の古老は、一種の郷土的愛から、その自治権を失うことを惜しみ、或者は村会議員として与えられて居た名誉職を手放す事をなげく。
 然し郡山の町民は或優越を感じて居るらしい。今日来た郡山の新聞記者は、明にその傾向を語ると共に、そう云う一つの変動が起った場合に余波を受けて起る箇人的野心、或は、人間の本能的功名心を示して居る。
 彼は、政治記者である。
 彼の云うところによると、市に大字桑野として編入されることは、朝鮮と同様、市の多勢に実権を握られて居る以上已を得ないことでありましょう。然し、已を得ないと云うような言葉はつまり、弱者の云うことで――実際、此のサクバクたる農村が、郡山と同様の地租その他を負担させられると云うのは可哀そうなことです。
「でも、地価や何かがあがるから少しは今とは違うでしょう。
「いやそうです。然しですな地価が上ったからと云って、農民には直接収入の増加とはなりません。従って、実力以上の負担を負うのは気の毒ながら何とかして町との均衡を保つために一つ私の考える事、持論があります。
 ちっと話が大きくなりますが」――彼は大鉢の縁で煙草の灰を叩き落した。
「つまり此の大神宮を昇格させようとする事なのです。そもそもの始りがです、維新の始、賊軍として、長い間反目されて居た此の東北地方に、尊王奉国の中心として大神宮を建てたらよろしかろうと云う有難い大御心から、わざわざ伊勢大廟の分祠として祭られたものなのですな、それを斯のように荒廃にまかせて置いてよいものなのかどうか――と斯う考えました。それで町の有志ともはかって、十万円ばかりの余算で、内苑外苑からすっかり改築して、伊勢まで行かれない人々は、此処へ来て、お参〔以下欠〕

 四月二十七日
 今日大学の大通りを散歩して、計らずも、久しい間求めて居たリビングストン伝を見出す事が出来た。
 早速その序二三頁を読んで、自分の心は云い知れぬ感激に打たれた。
 人間の生活は、何と云う妥協を許すものだろう。
 自分は、誠実の欠乏を、その恥に堪えないまでに思い知らされる。ヒシヒシと、百打ちの鞭打を加えられるような心持がする。
 自分は何を知ったと云えるのか、
 此の曖昧な甘い自分は、文学に、何を創ろうとして居るのか、
 眼覚めよ、憐れなる我が心、
 真実のみに人は動かされる。より真なるもの、よき真ならんと努力する者の心を視た時、人は僅かな解怠心をも恥じずには居られないのだ。
 自分は甘い落付きを厭う。それを厭う自分である事を自覚することによって第二の甘さに堕そうとする。恐ろしいことではないか、自分の此から書こうとする黄銅時代は、更に甦り、強められた自責の念と、謙譲な虚心とによって書かれなければならないのだ。

 四月二十八…

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