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現今の少女小説について
げんこんのしょうじょしょうせつについて
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第三十巻」 新日本出版社
1986(昭和61)年3月20日
入力者柴田卓治
校正者土屋隆
公開 / 更新2008-03-29 / 2014-09-21
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 今行われる少女小説について私は自分の荷にあまるほどいろいろの事を考えさせられるんです。
 一寸行きずりに本屋の店をのぞいても飾ってある少女小説の数はほんとうに沢山でそれで又何故だか、「何子の涙」だとか、「何この歎」だのって云うのばかりですねえ。
 少女小説って名のつくのは皆、涙だの、歎だのって云うんでなければいけないきまりが有るんでしょうか。
 私はどう云うものかと思ってその沢山の中の二三冊読んで見ました。
 それでどう云うものだか、と云う事を知りました。
 私の読んだのは、どれもどれもみじめな可哀そうな娘を中心にして暗い、悲惨な、憎しみだの、そねみだの、病や又は死、と云うものをくっつけてありました。
 それを読みながら、私でさえ淋しい気持になりました。又そうなる様に書いてあるんです。
 まあ少女小説を読もうと云うのはどうしても十二三頃からいつまでも子供っぽい人は十七八まで面白がって読むらしゅうござんす。
 そうすれば何でも物事に感じやすい極く極くセンチメンタルになる頂上を少女小説は通って行くんです。
 十五六から二十近くまでの娘の心と云うものはまるで張りきった絃の様にささやかな物にふれられてもすぐ響き、微風にさえ空鳴りがするほどで、涙もろい、思いやりの深い心を持って居るんです。
 この時代になれば、どんな幸福な家にある娘でも、何とはなし悲しい事ばかり考える様にもなります。
 わけもなくて世の中がいやになる、そんなのもこの時分なんです。
 注意深い母親はそう云う時代の娘を必してだまってわきから見ては居ません。
 なるたけ愉快な仕事をあずけるとか又は自分のそばに置いていろいろな事をしゃべるとか、当人のこのんで居る事に力をそえてやるとかします。
 けれ共そう云う母親はあんまりあるもんじゃあありません。
 だまって本でも見て居れば安心して居ます。
 斯う云う心理状態にある娘はきっと哀れっぽい涙ばっかり流さなければならない様な物語りばっかりすいて読むんです。
 そしてまるで自分をその物語りの中に投げ込んで思うままに涙を流す事を楽しむんです。
 けれ共そう云う事を私はいけないと思います。
 若い娘の心に同情を呼び起させるためにはいい結果があるかもしれません。
 けれ共同情を起させると云う事よりも倍も倍も悪い事が起ると云う事を考えなければなりません。
 現在の文学者としてかなり名のある方で少女小説に筆を染めていらっしゃる方はまあ別として名もない人々の世に出す少女小説の文を読んだ少し心ある人は、どう思うでしょう。
 いかにも奇麗な文章には違いありません。
 そして又いかにも可哀そうらしく書いてあります。
 けれ共ほんとうに「実」のある、重味のある文章か何かと云えば――
 間違って居るかも知れませんが、「さあ」と云って頭をかしげなければならないんです。
 頭の単純な娘達は…

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