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パウロの混乱
パウロのこんらん
作品ID1608
著者太宰 治
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の名随筆 別巻100 聖書」 作品社
1999(平成11)年6月25日
初出「現代文学」1940(昭和15)年11月号
入力者加藤恭子
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2005-05-14 / 2014-09-18
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 先日、竹村書房は、今官一君の第一創作集「海鴎の章」を出版した。装幀瀟洒な美本である。今君は、私と同様に、津軽の産である。二人逢うと、葛西善蔵氏の碑を、郷里に建てる事に就いて、内談する。もう十年経って、お互い善蔵氏の半分も偉くなった時に建てようという内談なのだから、気の永い計画である。今君も、これまでずいぶん苦しい生活をして来たようである。この「海鴎の章」に依って報いられるものがあるように祈っている。
 今君は、此の雑誌(現代文学)に、パウロの事を書いていたようであるが、今君の聖書に就いての知識は、ほんものである。四福音書に就いては、不勉強な私でも、いくらかは知っているような気がしているのだけれども、ロマ書、コリント前・後書、ガラテヤ書など所謂パウロの四大基本書簡の研究までは、なかなか手がとどかないのである。甚だ、いい加減に読んでいる。こんど、今君の勉強に刺戟されて、一夜、清窓浄机を装って、勉強いたした。
「義人は信仰によりて生くべし。」パウロは、この一言にすがって生きていたように思う。パウロは、神の子ではない。天才でもなければ、賢者でもない。肉体まずしく、訥弁である。失礼ながら、今官一君の姿を、ところどころに於いて思い浮べた。四書簡の中で、コリント後書が最も情熱的である。謂わば、ろれつが廻らない程に熱狂的である。しどろもどろである。訳文の古拙なせいばかりでも無いと思う。
「わが誇るは益なしと雖も止むを得ざるなり、茲に主の顕示と黙示とに及ばん。我はキリストにある一人の人を知る。この人、十四年前に第三の天にまで取り去られたり(肉体にてか、われ知らず、肉体を離れてか、われ知らず、神しり給う)われは斯のごとき人を知る(肉体にてか、肉体の外にてか、われ知らず、神しり給う)かれパラダイスに取り去られて言い得ざる言、人の語るまじき言を聞けり。われ斯のごとき人のために誇らん、然れど我が為には弱き事のほか誇るまじ。もし自ら誇るとも我が言うところ誠実なれば、愚かなる者とならじ。然れど之を罷めん。恐らくは人の我を見、われに聞くところに過ぎて我を思うことあらん。我は我が蒙りたる黙示の鴻大なるによりて高ぶることの莫からんために肉体に一つの刺を与えらる。即ち高ぶること莫からんために我を撃つサタンの使なり。われ之がために三度まで之を去らしめ給わんことを主に求めたるに、言いたまう、「わが恩恵なんじに足れり。わが能力は、弱きうちに全うせらるればなり。」然ればキリストの能力の我を庇わんために、寧ろ大いに喜びて我が微弱を誇らん。この故に我はキリストの為に、微弱、恥辱、艱難、迫害、苦難に遭うことを喜ぶ。そは我、よわき時に強ければなり。」と言ってみたが、まだ言い足りず、「われ汝らに強いられて愚かになれり、我は汝らに誉めらるべかりしなり。我は教うるに足らぬ者なれども、何事にもかの大使徒たちに劣らざり…

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